『人間革命』の最終巻である第十二巻は、平成5年(1993年)4月2日付で刊行されてい
る。創価学会が日蓮正宗から破門されてから二年後のことであり、この頃には古くからの
幹部の中からも造反者が何人も出て、池田大作への批判をしていた。
『人間革命』第十二巻では、石田次男氏(作中では「石川幸男」)、龍年光氏(作中で
は「滝本欣也」)、藤原行正氏(作中では「藤川一正」)に対して、かなり辛辣な批判が
加えられている。
石川幸男は「横柄で冷たい」、滝本欣也は「人間として異常」などと、かなり手厳しい。
両者とも、それまで作中では、学会幹部として重要な役回りを演じてきたにも関わらず、
一転して悪役のような描かれ方になっている。
これらの人物は、『人間革命』第十二巻刊行時には、いずれも公然と池田大作を批判す
るようになっていた(石田氏は平成4年〔1992年〕死去)。そのために、悪しざまに書か
れる羽目になったのであろう。
『人間革命』は、池田大作が自画自賛するような「恩師の真実を伝える伝記」などでは
なく、池田を宣揚し、敵対する者を貶めるために書かれたものであることの証拠である。
藤川一正(藤原行正氏)は、第十二巻ではじめてその名が登場するが、藤原氏がこの巻
が上梓される4年前に造反し、批判本『池田大作の素顔』を出版していたためか、人間的に
相当に問題があるかのように書かれている。
> ――前年の夏、戸田は大洋精華の社員の表情が暗いことが気になった。関係者に聞
> くと、営業部長の藤川の常軌を逸したやり方に、社員が苦慮しているとのことであっ
> た。藤川は、社員に休日も与えずに働くことを強い、営業成績が悪いと怒鳴りつけ、
> 時には、コップを床に叩きつけたりもするという。そして、社長をしている十条潔が、
> 社員を温かく激励するのを冷ややかに見ながら、自分は、社員への監視の眼を光らせ
> ているというのである。
※ 「大洋精華」とは学会関連企業の東洋精光、「十条潔」とは第四代会長を務めた北
条浩氏のことである。
『人間革命』では、大洋精華の社員が休日出勤の挙げ句に交通事故死したことが描かれ、
その報を聞いた戸田は、「藤川は、一将功成りて万骨を枯らすことになる。とんでもない
ことだ。しかし、女房も女房だ。あの見栄っぱりの性格が、ますます亭主を狂わせている。
悪いのは女房だ」と述べたとされている。
藤原行正氏の妻、郁子氏は、池田大作の愛人だった渡部通子氏の実姉である。藤原郁子
氏は、ジャーナリスト・内藤国夫氏に対して、池田の女性関係について話し、内藤氏はそ
れを雑誌で書き立てた。「悪いのは女房だ」というのは、池田大作の意趣返しであろう。
『人間革命』には、その後、事故死した社員の通夜に藤川が出席しなかったことを知っ
た戸田が、「なにッ! 藤川は人間として許せん。先輩でありながら、無責任極まりない
態度ではないか。今後、藤川のことは、いっさい信じるな!」と言ったと書かれている。
もしこれが事実なら、池田大作は師である戸田の命に背いたことになる。なぜなら、戸
田の死後、池田の第三代会長就任と時を同じくして、藤原行正氏は創価学会理事となり、
その翌年には渉外部長にも就任しているからである。
藤原氏は学会幹部として、マスコミ対応や右翼団体との折衝を行い、公明党都議を七期
務めている。また、昭和44年(1969年)に藤原弘達氏が『創価学会を斬る』を出版しよう
とした際には、出版取り止めの依頼に出向いている。
藤原行正氏は著書で、昭和36、7年当時「池田側近ナンバーワン」と呼ばれていたと述
べているが、実際にそれだけの働きはしていたのであろう。
池田大作が、会長就任後の数年間、藤原氏を重用していたのは事実である。もし本当に
戸田城聖が、藤原氏のことを「いっさい信じるな!」と言ったのなら、そうはならなかっ
たであろう。『人間革命』は「永遠の師匠」であるはずの、戸田城聖の言葉を捏造してい
るのである。
都議会議員としての藤原氏は、清廉潔白とは言い難かったようである。下水道関連の利
権を握り、往時は「東京都の下水道工事は藤原行正のお墨付きがもらえないと、工事が出
ない」と言われるほどだったという(古川利明著『シンジケートとしての創価学会=公明
党』による)。
藤原氏はその後、昭和63年(1988年)に公明党衆議院議員・大橋敏雄氏とともに、創価
学会および池田大作への批判を開始した。平成元年(1989年)には、『池田大作の素顔』
を出版している。
藤原行正氏は、創価学会および公明党の幹部として、少なからず問題行為に加担してき
た人物である。だが、造反して『池田大作の素顔』を出版した功績は、多としなければな
らないだろう。この本は、池田大作について知る上で重要な資料の一つである。
さて、藤原氏については、もう一つ言及すべきことがある。それは〝池田大作を暗殺し
ようと企てた〟との風説についてである。
ウィキペディアの藤原氏の項目には、以下の記述がある。
> 池田大作暗殺計画
> 1988年(昭和63年)9月18日、東京都新宿区西新宿のヒルトン東京である暴力団幹部
> に会い、着手金2億5千万円と成功報酬2億5千万円で池田の殺害を依頼した。しかし藤
> 原が着手金を払えなかったため、10月5日、契約は頓挫し発覚した。
この情報の初出は、創価学会がかつてバラ撒いていた怪文書「地涌」である。とてもそ
のまま鵜呑みにしていい情報とは思えない。以下に当該の記述がある「地涌」第20号の一
部を引用する。
> 池田名誉会長を倒し、自分の息子を創価学会会長に据える――、こんな野心を持っ
> た男・藤原行正がたくらんだウルトラCは、池田名誉会長の殺害を暴力団に依頼する
> ことだった。
> 藤原行正は、昭和六十三年九月十八日午後二時五十分、新宿区のヒルトンホテルで
> 暴力団幹部のMに会った。九月二日に大橋が国会に「質問主意書」を出した後で、藤
> 原、大橋が脚光を浴びていた頃のことだ。
> 以下の会話記録は、殺人依頼の契約が頓挫したことから白日のもとにさらされた。
> 以下はその一部抜粋である。
> 藤原 Mさんの方で、池田を処分してくれませんか。
> M 処分というのは、殺すということですか?
> 藤原 そうです。
> M いやあ驚きましたね。信仰の世界にいる人が……。よほど、腹をくくった
> んですね。
> 藤原 そうです。私の手の者でも行くという人間はいるのですが、なかなか……。
> M それはそうでしょう。カタギの人がそんな事は簡単にできる訳はないです
> よ。
(『地涌からの通信①』より引用)
この話は事実であろうか。相手の男が「いやあ驚きましたね。信仰の世界にいる人が」
と言ったことになっているが、この時点での藤原氏は、現職の都議会議員である。驚いて
みせるとしたら、まずその点ではないだろうか。不自然な印象は拭いがたい。
この話とは逆に、創価学会側が藤原氏の暗殺を企てたという話もある。これは元公明党
委員長・矢野絢也氏が著書で述べていることである。
> 藤原氏は、公明党創立当時からの古参の議員で、池田氏には批判的な人物として知
> られていた。その藤原氏を学会が公然と敵視するようになったのは、マスコミに藤原
> 氏の夫人と池田氏との不倫を印象付ける記事が掲載されて以来である。学会は、この
> 情報を藤原氏側からのリークとみなし、熾烈な攻撃を始めたのだ。
> また学会側は、藤原氏とその次男が、次期会長の座を狙っているとして、批判を強
> めた。これだけなら、学会内部ではよくある権力闘争のひとつだと片付けてしまえな
> くもないが、この一件には世間にはおおっぴらに公開できない秘話があった。
> 当時、公明党都議会の藤井富雄幹事長が、私の自宅を訪ねてきて、真剣な表情で、
> 次のように依頼した。
> 「学会首脳が第三者を使って藤原氏の暗殺を計画している。そういうことは学会の自
> 殺行為になる。なんとか止めてもらえないか」
> 暗殺とは穏やかではない。学会首脳が藤原氏の殺害を計画しているなどとは、とて
> も信じがたかったが、事が事である。私は当時会長だった秋谷栄之助氏に、藤井幹事
> 長の依頼を伝えた。
> 暗殺依頼が本当にあったのかどうかは、わからないが、藤井幹事長が深刻な懸念を
> 抱いて、「取りやめ」を学会首脳陣に進言するよう、私に求めてきたには厳然たる事
> 実である。
> 学会が暗黒街の組織のごとく、邪魔者は消せとばかりに殺人を依頼する。今でも、
> あれは藤井氏の杞憂だったと思いたいが、離反した議員に殺害を仄めかすような脅し
> を、創価学会や公明党の幹部がかけたという話は、たびたび耳にする。
> 私自身、手帖強奪の過程で、議員OBから「あなたの身に危険が及ぶ」という趣旨
> の恫喝を何度も受けたし、実際に幾度も身の危険を感じた。
(矢野絢也著『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』より引用)
どちらの話も確たる証拠はなく、事実か否か不明である。
しかし私には、「地涌」のようないかがわしい怪文書などより、元公明党委員長である
矢野氏の述懐の方が、ずっと説得力があるように思える。
矢野氏に暗殺計画を話したという藤井富雄氏は、創価学会において暴力団との窓口役を
長年務めてきた人物。その手の情報を、入手しやすい立場であったのは事実である。
創価学会を代表する出版物であり、学会員から「現代の御書」と呼ばれるほど重視され
ている『人間革命』にすら捏造があることは、上述のとおりである。その創価学会が出し
ていた怪文書「地涌」にどれほどの信憑性があるかは、言わずもがなであろう。
今後も、藤原氏や矢野氏のように造反して、創価学会の真実を明かす公明党議員が出て
くるかはわからない。願わくは勇気と良識に目覚める人士が、現在の公明党にもいてほし
いものである。