2017年7月9日日曜日

創価学会は本当に「御書根本」か? ②

 「御書根本」を信仰の理念として掲げる創価学会だが、学会員の中には「御書」など読
まないし、それ以前の問題として、そもそも読む読解力があるかどうかも怪しい者も少な
くない。

 「御書」すなわち日蓮遺文は、当然のことながら古文であり、しかも仏教用語を多く含
むので、それを読んで理解できるためには、相応の学力が必要である。

 学会員たちの憧れの大学である、創価大学の主要学部の入試偏差値は40台。この事実が、
大半の学会員の学力がどの程度かを、雄弁に物語っている。御書など読めない者が、学会
員の大半を占めているのが実態なのだ。

 創価学会は、その創成期から「病気がなおる、金が儲かる」と、現世利益を掲げて信者
を集め、「護秘符」や「護符」などという怪しげなマジナイを売り物にしてきた。

 どう考えも、知的水準が高い人々に対して、訴求力があったとは思えない。創価学会は
最初から、頭脳明晰とは言い難い人々をたぶらかして信者としてきたのである。

 『人間革命』第五巻にも、御書を読めない者が多いことに対して、戸田城聖が警鐘を鳴
らしたとの記述がある。


>  彼の執筆になると思われる、当時の『聖教新聞』昭和二十六年九月一日号の「寸鉄」
> 欄には、さまざまな教学部員を諷刺して警告している。
>  「一、御書を読めない信者が多い。教学の衰えていることがわかる。広宣流布の騒
>  ぎどころじゃないぞ。気をつけろ。
>   二、御書を読める者もいる。そして大聖人の口真似だけしている。かかる者を桜
>  夢居士と名づけ奉る。
>   三、小説を読むひまがあっても、御書を読まん。こんなのは阿羅漢の弟で、陀羅
>  漢というんだ。
>   四、若い者で、御書を知ったかぶりしている者がいる。こんなのは釈迦の孫で悉
>  多羅振太子と名づけ奉る。
>   五、御書を読まないのを自慢の奥様がいる。こんなのは世迷夫人という。」
>  今日の創価学会教学の基本的姿勢は、この頃から確立されたといってよい。教学即
> 実践であり、実践が教学の正しさを実証してきたのである。

 ※ 文中の「彼」とは戸田城聖のことである。


 昭和26年(1951年)は、戸田が第二代会長に就任した年である。その時期から「教学の
衰え」を懸念しなければならなかったというのが、創価学会の偽らざる姿なのだ。

 『人間革命』は、教学力がない者、御書を読めない者が多いことを憂える文章を引用し
た直後に、「今日の創価学会教学の基本的姿勢は、この頃から確立されたといってよい」
とのたまっているが、いったい何がどう確立されたというのだろうか。

 バカな信者たちを、一部の幹部が利用し搾取する体制が確立されたというのなら、〝確
かにその通り〟と肯うこともできるのだが。

 創価学会は、御書や教学を重視するという建て前とは裏腹に、池田大作への盲信が信仰
の核となっている。元中堅幹部・古谷博氏の論文に、そのことを論じた一節があるので引
用する。


> 創価学会婦人部を特徴付ける十三ヶ条

> 一. 池田を絶対と信じている。
> 二. 自分の亭主より大事なのは池田と思っている。
> 三. 池田に身も心も捧げても悔いはない。
> 四. 池田と握手したら絶対に手は洗わない。
> 五. 相手が池田批判をすると心臓が高まり頭に血が昇ってしまう。
> 六. 池田を批判するマスコミや週刊誌記事は〝見ない。読まない。買わない。〟
> 七. 金太郎飴のような画一的な価値を好む。
> 八. 「師匠が地獄に行くならば自分も地獄に行く」
> 九. 御書や活字は苦手。深く思考することは好きではない。
> 十. 婦人部同士の競争心は異常に強い。
> 十一.広宣流布のためなら、家庭や子供たちの犠牲はやむを得ない。
> 十二.壮年部・青年部への監視は怠らない。(すぐ上に報告する)
> 十三.上から指令があったら、撲滅の題目は進んで実行する。
 (創価学会・公明党を糺すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』所収
  「おわりに――最強の『婦人部』を検証する」より引用)


 創価学会の婦人部には専業主婦が多いため、F取りなどの学会活動の主要な担い手にな
っている。古谷氏は、学会婦人部の特徴として上記を挙げているが、婦人部以外の男性の
学会員にも当てはまる点が多いように見受けられる。

 私はこれまでに何回か、学会員から折伏を受けたことがある。いずれも男性の学会員だ
ったが、池田大作を絶対と信じ、池田を批判されると「聞き捨てならない!」と激昂し、
創価学会の画一的な価値観に安住する連中ばかりだった。

 それに、私を折伏しようとした学会員の中で、御書を読んでいた者は、たぶん一人しか
いなかったと思う。

 創価学会の根本は、御書――日蓮遺文――などではなく、池田大作への個人崇拝である。
池田が高潔な人格者ならば、創価学会もまともな組織になったかも知れないが、実際の池
田は、「広宣流布のため」といって貧しい学会員たちから集めた金で、自分専用の豪華施
設をつくって贅沢三昧の生活をし、美人の学会員に手をつけまくるロクでもない俗物であ
り、その上〝バレないようにやれば何をやっても構わない〟という反社会的思想を持った
邪悪な人物でもある。

 創価学会の実態は、日蓮の名を騙っているだけの〝池田教〟に過ぎない。
 創価学会員の中には、他人の迷惑をかえりみない強引な折伏を行う者が、今なお多い。
それだけならまだしも、折伏に応じない者に陰湿な嫌がらせを行う者までいる。

 現世利益一辺倒の信心も、社会に迷惑をかける強引な勧誘も、本来の仏教とは何の関係
もないものだ。創価学会は仏法を冒涜していると言わざるを得ない。

 学会員の中には、邪悪で反社会的なカルトそのものである〝池田教〟にマインドコント
ロールされ、常識的な判断力を持たない者が少なくない。

 まともな人生を送りたいならば、そういうどうしようもない連中とは、関わりをもたな
い方が賢明であろう。