2020年6月14日日曜日

創価批判コピペ集‐⑱(「創価学会はストーカー集団か?」他)

◇◆◇ 創価学会はストーカー集団か? ◇◆◇

創価学会員は一般人に対して、様々な名目で執拗につきまとう等の迷惑行為をしている。
彼らがこうした行動を取るのは、そうすることでご利益があると信じているからである。

・新聞啓蒙・・・聖教新聞の押し売り。商売上の関係を盾に取り購読を迫ることが多い。

・F取り・・・公明党の選挙運動。投票の見込みがありそうな知り合いに、片っ端から
 連絡を取って依頼する学会員も珍しくない。承諾すると実際に投票するまで、複数の
 学会員が入れ替わり立ち替わり念押しに現れ、投票所まで連れ出されることまである。

・折伏(シャクブク)・・・入信勧誘のこと。別の口実(飲み会、趣味のサークル等)
 で標的を呼び出し、複数の学会員で取り囲んで入信を迫るという、騙し討ちのような
 ことをする場合もある。断ると後日、中傷などの嫌がらせを受けることも少なくない。

※ 学会員の多くはこうした迷惑行為を、感謝されて当然の善行だと本気で信じている。


◇◆◇ 創価学会の聖教新聞 ◇◆◇

聖教新聞とは、創価学会の機関紙である(公称発行部数:550万部)。聖教新聞には名誉
会長の池田大作を称える記事が頻繁に掲載され、学会員に池田への個人崇拝を植え付け
る役割を担っている。創価学会には聖教新聞に関する、奇妙な慣行がいくつか存在する。

・新聞啓蒙・・・聖教新聞の拡販活動。販売店だけでなく、一般の学会員も動員される。
・無冠の友・・・聖教新聞の配達員。何よりも「功徳になる」とされているが、低報酬
 (月1~2万円程度)のため、誰が引き受けるかを学会員の間で押し付け合っている。

・マイ聖教・・・創価学会では聖教新聞は「池田先生からのお手紙」なので、多部数を
 購読すれば功徳になるとされている。そのため、一世帯で何部も取る者も多い。これ
 がマイ聖教である。学会員が一般人に、「タダでいいから聖教を取ってくれ」という
 ことがあるのは、布教を目的としてだが、余った聖教新聞をさばきたいからでもある。

※ 学会員をマインドコントロールする道具にして搾取の手段、それが聖教新聞である。


解説

 創価学会は巨大教団なので、その信者にも多様性が存在する。貧しい者もいれば、裕福
な者もいるし、外部からも有能と認められる者もいれば、そうでない者もいるだろう。

 しかしながら、学会員の中には「自分は必要とされない人間なのではないか?」という
コンプレックスを抱えた者が多く、典型的な一類型といってもいいくらいである。

 創価学会はそのような者に対して、「創価学会は至高の存在である末法の御本仏・日蓮
大聖人の仏法を広める使命を帯びた唯一の正しい宗教であり、学会員は地涌の菩薩である」
と説き、彼らはこれをアイデンティティーの拠り所としてきた。

 だが、「本当は学会員こそが価値のある存在、選ばれた特別な人間なのだ」という主張
には、客観的な立場からも妥当と認められる根拠がまったくない。創価学会は、マガイモ
ノの救いで学会員を誑かし、搾取しているに過ぎない。

 そして、彼らの信仰に根拠がないからこそ、創価学会員たちは他者を否定し貶めたり、
強引な折伏等で屈服させたりすることでしか、自らの「正しさ」を示せないのだ。

 選挙で公明党の候補を当選させることは、比較的軋轢の少ない形で彼らが「勝利」でき
る機会ではあるが、それとて時として選挙違反までやらかす、はた迷惑なF取りに支えら
れている。


 誰しもが多かれ少なかれ、短所や欠点を抱えているものであり、コンプレックスと無縁
の人間などそうそういないだろう。大抵の人は等身大の自分を認め、折り合いをつけなが
ら生きていくしかない。

 現実の自分を直視できない「心の弱い人」が、「本当はあなたこそが特別な存在なので
す」と甘い言葉をささやく、創価学会のようなカルトに引き寄せられるのだろう。

 創価学会には、このような歪な心の持ち主を再生産する図式がある。
 学会員の家庭に育つと、子供の頃から「学会員は地涌の菩薩で、そうでない人より高い
境涯にある特別な存在なのだ」と教えられて育つ。

 残念ながら、創価学会員であろうと大部分は特別な才能などない、普通の人間である。
 しかし、幼少時から「自分は特別な存在」とマインドコントロールされて育ち、分不相
応に自我を肥大させてきた者は、等身大の自分とうまく折り合いをつけられない。

 「特別であるべきなのに平凡でしかない」というコンプレックスに苛まれたり、「地涌
の菩薩である自分を差し置いて、外部の者が学業や仕事で優れた結果を出しているのは不
当だ」といった、理不尽な憤りをたぎらせたりする学会員も少なくないだろう。

 「自分たちは特別」と思い込んでコンプレックスを糊塗し、「特別な存在」であるはず
の自分より優れた外部の人間を折伏で屈服させようとしたり、それが叶わなければ誹謗中
傷したりするわけである。

 創価学会が、かつてより多少は大人しくなったにせよ、現在も迷惑行為を続けている理
由の一つは、この根拠なき選民思想にあると考えられる。

 創価学会への批判を耳にしても「学会が唯一の正しい宗教で、池田先生があまりにも偉
大なので、嫉妬したほかの宗教の人が悪口を言っているだけ」と、目と耳をふさぎ続ける
学会員もいるが、この言い分は抑圧されたコンプレックスの外部への投影でしかない。

 この構図は強固なものであり、変えることは容易ではないことから、創価学会は今後も
反社会的なカルトであり続けるのではないかと懸念される。


追記 「無冠の友」の報酬について

 「無冠の友」と呼ばれる聖教新聞の配達員が、実際にどの程度の報酬を受け取っている
かについては、ネット上にも様々な数字が挙げられており、その額は一定していない。

 おそらく配達件数や実動日数に応じて、報酬が支払われているのであろう(週一回だけ
配達を引き受けている者であれば、月に数千円程度にしかならないのではないか)。

 いずれにせよ、時間給に換算すれば最低賃金にも届かない、搾取的な雇用条件であるこ
とに変わりはない。創価学会員といえども、引き受けたがる者が少ないのは当然だろう。

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