2019年7月14日日曜日

仏敵撲滅唱題について

 平成3年(1991年)11月28日、当時の日蓮正宗法主・阿部日顕氏は、創価学会に対して
破門通告書を発した。

 この件に関して創価学会は、自らの立場を弁明すべく『宗教はだれのものか』と題した
書籍を出版している。同書は「破門」について、以下のように述べている。


>  一一月二八日、ついに日顕は、創価学会に対して「破門通告書」を出した。
 (中略)
>  同じ頃、全国の創価学会の会館では、記念幹部会が開催された。
>  一〇〇〇を超す各地の会館には、この日ばかりは手に手に鳴り物やポンポンを持っ
> た会員たちが、笑顔を抑えきれない様子で続々と集まった。まるで、贔屓のチームの
> 優勝決定戦に出かけるサポーターのような、文字どおりの嬉々とした顔だった。
>  日顕が、どうしても理解できていなかったのは、この庶民の逞しさと賢さなのだ。
>  時代錯誤甚だしい“破門通告”なるものを受けた直後の記念幹部会は、そのまま「魂
> の独立記念日」祝賀の幹部会となった。破門の一件が語られると、どの会場も場内は
> 爆笑と歓声の渦になり、人々は鳴り物を鳴らして喜び合った。
 (青山樹人著『最新版 宗教はだれのものか』)


 この記述を信ずるならば、創価学会にとって、日蓮正宗から破門されたことは「魂の独
立」であり、歓喜して受け入れたということになる。

 それが事実ならば、破門を決定した阿部日顕氏に対しては、全学会員が報恩感謝の気持
ちを抱いたことであろう。

 だがしかし、実際に創価学会がやったことは、阿部氏を「仏敵」に認定し、組織を挙げ
て呪詛の題目を上げることだった。


>  周知のように創価学会は、1991年11月に創価学会を破門した日蓮正宗を「邪教・日
> 顕宗」と呼び、これを撲滅するとして熾烈な攻撃を繰り広げている。
>  そうした攻撃の一環として、創価学会が学会員に強いているのが、阿部日顕日蓮正
> 宗法主の「撲滅」「打倒」を目的とした祈念、すなわち呪詛である。
>  そうしたいくつかの事例を紹介しよう。
>  まずは「日顕撲滅唱題表」である。92年頃から創価学会は、全国の支部・地区・ブ
> ロック組織に「日顕撲滅対策委員会」なるものを設置。日蓮正宗に対する激しい攻撃
> を開始したが、そうした過程で作成されたのが、この「日顕撲滅唱題表」である。
 (乙骨正生 編著『公明党=創価学会の深層「自・創」野合政権を撃つⅢ』)

(出典:同上)

 ※ 「1マス20分です。塗り潰す色は黒がいいでしょう。100万編あげれば日顕は真っ
  黒になり消えてなくなります。憎しみをこめて塗り潰しましょう!」とある。


 創価学会は組織を挙げて呪詛を行っておきながら、一方では「他の宗教は非科学的だ」
とか「破門など時代錯誤甚だしい」と他者を批判してきた。そんなことを言う資格が彼ら
にあるのだろうか……。

 さて、「仏敵」に認定されたのは、阿部日顕氏だけではなかった。創価学会は、自分た
ちにとって不都合だったり気に入らなかったりする存在を、それまでの経緯や事情を斟酌
することなく「仏敵」呼ばわりし、呪詛の対象としてきた。


>  ここに一通の投書がある。創価学会員が、仏壇の中に入れ、毎朝晩、ご本尊と共に
> 拝んでいるという紙である。これを毎日拝まされていることに耐え切れなくなったあ
> る学会員が、週刊新潮編集部宛に送ってきたものだ。
 (山田直樹著『創価学会とは何か』)

(出典:同上)

 ※ 『創価学会とは何か』は、平成15年(2003年)に週刊新潮に連載された「新・創価
  学会を斬る」を単行本化したもの。
   「山友」は元顧問弁護士・山崎正友氏、竹入は元公明党委員長・竹入義勝氏。


 阿部日顕氏は、法主に就任した後、創価学会を批判することを宗内において禁止し、そ
れでも批判を止めなかった僧侶を大量に除名処分までした(除名された僧侶たちは「正信
会」を結成)。

 そうまでして創価学会との宥和を目指した阿部氏だったが、その後の紆余曲折を経て、
表向きは下手に出つつも、その実、あくまでも宗門を自分の支配下に置こうと画策する池
田大作に見切りをつけ、最後の手段として破門に踏み切ったのである。

 また、山崎正友氏や竹入義勝氏も、様々な不正に手を染めてまで、創価学会と池田を守
ってきた人物である。

 これらの人々が創価学会と敵対する側に身を置くことになったのは、諫言にはいっさい
耳を傾けずに問題を起こしまくり、何かあれば隠蔽やもみ消し工作だけで乗り切ろうとし、
その上、何も知らない末端の学会員たちに、自身への個人崇拝を植え付けようとしてきた
池田大作を見限ったからに他ならない。

 そして、学会員たちに「仏敵」を憎悪して戦うことが、成仏への道だと指導してきたの
も、彼らが敬愛してやまない池田センセイだった。以下に池田語録を引く。


 「邪悪と戦うことが『信心』である。『師子王の心』で、仏敵と戦ってこそ『仏』とな
 る。間断なく謗法を責めてこそ、『仏罰の現証』も相手に厳然と現れる」

 「釈尊も絶えず魔と戦った。『魔と戦い続ける』ことと『仏である』こととは、実は同
 じことと言っても過言ではない」

 「勝つか負けるかである。最後まで、悪には、とどめを刺さなければいけない」

 ※ すべて『御書をひもとく要文123選』(創価学会 男子部教学室 編)による。


 創価学会員という連中は、上記のような池田大作の指導を信じ、仏道修行の一環として
「仏敵」への呪詛を行ってきたのである。

 こうした事実がある以上、創価学会員であるということは、反社会的な人格を涵養して
いることと同義だと言わざるを得ない。

 このようなカルトを「唯一絶対に正しい信仰」と信じる輩が、日本には数百万人もいる
のだ。空恐ろしい現実である。

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