以外の大部分の人は、創価学会になどたいして関心がなく、怪しげな新興宗教の一つ程度
の認識しかないか、あるいは折伏等で不快な経験をしたことが理由で、忌み嫌っているか
のどちらかであろう。
しかしながら、非学会員が執筆した本の中にも、創価学会に肯定的評価をしているもの
もいくらかはある。
創価学会を評価する理由として、よく挙げられるのが「助け合い」である。
学会員1世の中には地方出身者が多い。学会員1世は、都市居住1世でもあることが珍
しくないのだ。
他者との関わりが希薄な都市において、創価学会がムラ社会的な濃い人間関係――互助
や仲間への思いやり――を実現していることに魅力を感じ、入会した者が少なくないとい
うことだろう。そうした濃い関係が、現在でも創価学会の末端組織を支えている。
> それぞれにドラマがある学会員は、他人の幸せを願い、助け合って生きている。
(中略)
> 学会員の家族が手術を受けるとなれば、その時間にみんなが集まって題目をあげる。
> 引っ越しも葬儀も応援する。誰かが病気で働けなくなったら、生活保護の手続きをと
> る。夫婦関係の不和、職場の人間関係など悩みがあれば、相談にのって解決する。
> 学会は一つの共同体でもある。
> 学会の現場はきわめて濃密な助け合いのシステムとなっている。
(中略)
> 社会から創価学会が排他的、顔が一つの組織に見えてしまうのは、学会員同士が濃
> 密な関係にあり、一つの共同体を形成しているからだろう。
(別冊宝島『となりの創価学会』所収
米本和広著「荒川区町屋三丁目 下町の学会員さん物語」)
こうした環境で生まれ育った2世3世にとっても、創価学会特有の密度の濃い人間関係
は、幼少時から慣れ親しんだものであり、アイデンティティーの一部にまでなっているの
かもしれない。
だが、そこに息苦しさを感じる人もいるだろう。
創価学会では、個人の住居が座談会などの活動の拠点としても使われている。そうした
家庭では、無遠慮に生活空間に侵入してくる学会員たちのふるまいに耐えねばならないこ
とがままあるという。
親が熱心な信者であるにもかかわらず、子が創価学会に反発することがあるが、他人に
配慮しない学会員の不躾さが、その理由になることもあるようだ。
元活動家のブログの中にも、入浴中に浴室に入ってこられた等の経験談を記しているも
のもある。
学会員同士の距離が近いことによる問題点は、他にもある。濃密な人間関係は創価学会
の搾取的な金集めにも、一役買っているのだという。
池田大作は、幹部ごとに担当地域を決めて集金額を競わせ、多額の金を集めた者を登用
する一方、実績を上げられない者は冷遇したという(「学会幹部に良心はないのか?」参
照)。
人間関係のしがらみを金集めのための情報収集に活用することを考え出し、財務で実績
を上げて出世、そのノウハウを全国に広めた幹部がいたとしても不思議ではない。
> 「組織防衛」にひた走り、ややもすれば(というか相当)硬直化している「信濃町
> 中央(学会本部)」に対し、現場で日々、活動に汗を流している末端の会員は、明る
> く、オープンだと言われる。確かに筆者も個人的に学会員の知り合いは何人かいるが、
> 基本的には「いい人」ばかりである。
> 特に学会活動の中心となっている婦人部の人たちは、選挙になるとちょっとうるさ
> いが、概して明るくおおらかで、世話好きなオバさんが多い。
(中略)
> しかし、ある元学会員は、「その『あったかい』とか『世話好き』ってのが、実は
> ミソなんですよ」としたうえで、さらにこう続ける。
> 「確かに組織の末端では、よく『何があったの?』と相談に乗ってくれる。落ち込
> んでいるときは励ましてくれるし、確かに人情味も厚い。しかし、それは逆に言えば、
> 『プライバシー』がないってことなんですよ。そうやってしょっちゅうくっついてい
> るわけだから、家の収入だとか、夫婦関係、子供が抱えている問題とか、いろんな情
> 報がみんな外に漏れてしまう。それを組織がうまく利用しているっていうか、“悪用”
> しているわけです。特に財務の時なんかは、そういった情報が大きい意味を持つ。例
> えば、『あの家は最近、保険金がいくらいくら入った』とかいう話なんてのも内々、
> すぐに伝わるわけだから、幹部が親戚縁者に根回しして、『じゃあ、今回は一千万円
> くらいどうか』と話を持っていくわけですよ。まあ、言っちゃなんだけど、末端の学
> 会員ってのは、“貧乏人でお人好し”が多い。だから、疑うことを知らない。
(古川利明著『シンジケートとしての創価学会=公明党』)
濃い人間関係がもたらすのは、助け合いなどの良いことばかりだけではない。自分たち
の中に恵まれた者がいれば、何とかして引きずり下ろそうとする心理も生じやすい。
内心の妬みを信仰心で偽装し、「幸運に恵まれたのは御本尊のおかげなのだから、御本
尊に恩返ししなければ! 広宣流布のために財務するべき!」と迫る者もいるのだろう。
学会員は折伏の際、「創価学会は助け合いの組織だ」と言うことがある。
彼らは、相互扶助的で麗しい一面だけを印象づけようとし、それと表裏一体のプライバ
シーの欠如や、信心を口実とした足の引っ張り合いについては、外部の人間には語らない。
創価学会の末端にある濃い人間関係は、2世3世の脱会を阻止するためにも機能してい
る。抜け出したくても抜けられない、蟻地獄のような環境にも見える。
そのような環境に、本心から居心地の良さを感じている創価学会員が、はたしてどれく
らい居るのだろうか。
学会員が熱心に折伏を行う動機には、自分たちよりしがらみが少ない生き方をしている
人々をうらやみ、同じドロ沼に引きずり込みたいという願望もあるのかもしれない……。