2018年11月18日日曜日

創価学会の創立記念日

 創価学会は11月18日を創立記念日としている。学会員はこうした記念日には、学会施設
に集まり、「広布基金」と称する寄付金を納め、唱題勤行を行う。

 来月には「財務」という大規模な金集めがあり、再来月の新年勤行会でも広布基金は徴
収される。まったくもって、金のかかる宗教である。

 さて、11月18日が創立記念日とされている所以は、創価学会の初代会長・牧口常三郎と
後に第二代会長となる戸田城聖とが、昭和5年(1930年)のこの日に『創価教育学体系』第一
巻を出版したことによるという。


(出所:秋谷栄之助編『旭日の創価学会70年』)

 しかし、この本が出版された日付については異説もある。高橋篤史著『創価学会秘史』
に掲載されている、『創価教育学体系』第一巻の奥付では、発行日は昭和5年11月23日と
なっている。

(出所:高橋篤史著『創価学会秘史』)

 その理由として高橋氏は、当時は検閲があったことを挙げている。
 『創価学会秘史』に収録されている『創価教育学体系』奥付写真は、国立国会図書館の
所蔵本のものである。

 戦前、本を出版する者は、その本を内務省に納本し、検閲を受けることになっていた。
現在、国会図書館が所蔵している『創価教育学体系』も、元をたどれば検閲のために内務
省に納本されたものだという。

 高橋氏は、『創価教育学体系』の出版は当初11月18日を予定していたが、何らかの理由
によりスケジュールに後れが生じ、内務省に提出するもの、即ち現在、国会図書館が所蔵
しているものについては、正確な日付に修正したのであろうと推測し、「今日、創価学会
が創立日に関し唯一の拠り所とする『創価教育学体系』第一巻だが、十一月十八日の時点
ではまだこの世に存在していなかったのかもしれない」と述べている。

 のっけから胡散臭くなってきたが、首をかしげたくなる話はまだ続く。
 何らかの組織を創立する場合、構成員が集まって設立総会等のイベントを行うのが通例
であるが、牧口・戸田が昭和5年(1930年)にやったことは、「創価教育学会」を名乗っ
て本を出版したことだけで、その頃は組織としての活動実態はほぼなかった。

 ようやく総会等が開かれるようになったのは、昭和11年(1936年)以降だという。


>  一九三六年四月三十日、創価教育学会は一ツ橋の教育会館で総会を開いている。史
> 料に明確に記されたものでは、これは組織としておこなった初の総会と位置づけてよ
> い。
 (高橋篤史著『創価学会秘史』より引用)


>  昭和十二年(一九三七)には、創価教育学会の正式の発会式が麻布の菊水亭という
> 料亭であげられた。あつまった会員は約六十名、古島一雄、秋月左都夫が顧問となり、
> 牧口が会長、戸田が理事長である。
 (日隈威徳著『戸田城聖 ―創価学会ー』より引用)


 また、戦後に戸田城聖が中心となって再建された創価学会においても、当初は昭和5年
に創立されたという認識は持っていなかった。

 創価学会が出版している月刊誌『大白蓮華』創刊号(昭和24年7月号)の巻末に掲載さ
れている「誌上問答」には、以下の記述がある。


> 【問】―創価学会とはどんな会ですか。
> 【答】―日蓮正宗(総本山富士大石寺)の信者が中心となって、自然発生的にできた
>   会です。
> 【問】―何時頃出来たのですか。
> 【答】昭和十年頃牧口常三郎先生が創価教育学研究会を結成され、戦時中には官憲の
>   弾圧によって自然消滅のような状態になりましたが、敗戦とともに出獄された戸
>   田城聖先生が中心となって再発足し現在に到っています。

『大白蓮華』創刊号 巻末
※ 発行人は当時、理事だった
矢島周平氏となっている。

同上 拡大

 戦後間もない頃は「昭和10年頃に結成された」と自称していた創価学会が、いつから発
足時期を5年サバ読みするようになったのかは、今回確認できなかったが、その理由につい
ては、『創価学会秘史』で明らかにされているので、以下、同書に基づいて概説する。

 創価学会は、強引きわまりない折伏で規模を急拡大させてきた。かつては、不幸にして
標的とされた人の家に押し入って、神棚や仏壇を破壊するといった狼藉までまで働いてい
た(「折伏大行進の実態」参照)。

 それに加えて、昭和44年(1969年)には言論出版妨害事件まで引き起こし、世間から厳
しい批判を受けることになった。

 「暴力的で反社会的な新興宗教」というイメージを払拭するために、創価学会が打ち出
したのが、現在まで続いている「反戦平和」で外面を飾る、上辺だけのソフト路線だった。

 そのために利用されたのが、初代会長・牧口常三郎だった。牧口は、治安維持法違反で
逮捕され、昭和19年(1944年)11月18日、つまり『創価教育学体系』第一巻の発行日と
同じ日に死去した。

 牧口の主著が出版され、そして彼が獄死した日を創立記念日としたことは、創価学会が
最初から平和を志向していたという、虚偽の宣伝を広める上で役に立ったのだろう。

 事実、言論問題で批判を浴びた翌年の昭和45年(1970年)11月18日付の聖教新聞は、
前年までとは大きく様相が変わっている。

『聖教新聞』昭和44年(1969年)11月18日付 一面
※ 創立記念日にも牧口にも、まったく触れられていない。

『聖教新聞』昭和45年(1970年)11月18日付 一面

 昭和45年(1970年)11月18日の聖教新聞は、前年とは打って変わって「創立40周年」
をうたい、牧口常三郎の功績を讃える記事を一面トップに載せている。

 しかし、その内容は牧口が反戦平和の闘士であったかのように描く、欺瞞に満ちたもの
である。一部引用する。


>  学会の誕生は、昭和維新の不気味な鳴動が背後にしのびより、日本の軍国主義への
> 傾斜が著しくなっていた暗黒の時と符節する。以来戦前は、エスカレートの一途を辿
> る、この軍国ファッショの狂気の嵐のなかで、それと正面から対決し、牧口初代会長
> は、その壮図の途上、獄死した。


 実際の牧口常三郎は、「日本の軍国主義への傾斜が著しくなっていた暗黒の時」を、折
伏の好機ととらえ、ある時期まで特高警察とも協力していたことは、『創価学会秘史』に
より暴かれており、軍国ファッショと「正面から対決」したなどというのは、ウソ八百に
過ぎない。

 以上に挙げた11月18日の創立記念日に関わる事実もまた、他の多くの事例と同様に、創
価学会がインチキ宗教、エセ平和団体であることを雄弁に示していると言えるだろう。


 ※ 読めばわかる通り、本稿は高橋篤史氏の『創価学会秘史』に大きく依拠している。
   この本は創価学会の創立記念日に際して、初代会長・牧口常三郎の事績や人となり
  を偲ぶのに格好の内容と思う。この機会に学会員の皆さんにも、是非手に取っていた
  だきたい一冊である。