創価学会の発表によると、去る11月15日、池田大作名誉会長が老衰のため死去したとい
う。享年95歳。
創価学会では初代から第三代までの会長は「永遠の師匠」とされ、教義上、特別な地位
を与えられているが、中でも池田センセイは別格の存在であった。
しかしながら、池田センセイが晩年の十数年間、公の場にいっさい姿を見せなかったこ
とから、年若い学会員の中には、ご健在な頃のセンセイの活躍を知らない方も少なくない
ようである。
そこで本稿では、故人の人柄を物語るもっとも代表的なエピソードをいくつか紹介し、
池田センセイへの手向けとしたい。
センセイは、第二代戸田会長が立ち上げた高利貸し、大蔵商事で営業部長を務めていた
ことで知られる。この頃、彼が債権回収のために病人の布団をはぎ取ることまでした、と
いう有名な逸話がある。
「直前まで病人が使っていた布団を換金できるのか?」という疑問を持つ向きもあろうが、
当時、大蔵商事に出入りしていた古参学会員による、この伝説的エピソードが事実である
との証言があるので、週刊新潮の記事から引用する。
> 仮に10万円を借りたいという人が来ても担保は取らず、保証人を立てさせる。月々
> 1万円ずつ12回返済させ、返済が滞ると保証人から取り立てる――それが大蔵商事の
> 商法だった。
> 「まだ戦後の復興期で、当時は綿が大変な貴重品だった。ある時、返済が滞った人の
> もとへ取り立てに行った池田さんは、寝ている相手のフトンから綿を抜き、それを売
> り払った。カバーは汚れていたので中綿だけ取り出して売った、と聞きました。モー
> レツ営業マンとはあのことで、戸田先生はそんな池田さんをことのほか可愛がり、自
> 分の右腕のようにしていた」
(『週刊新潮』2002年1月17日号)
統一教会の信者による高額献金が大きな社会問題になったことに関連して、創価学会に
も同様の問題があることがマスコミでも再び取り上げられるようになっているが、彼らの
創成期からの体質、そして、池田センセイの人となりがこの問題の遠因となっているのは
否定できないだろう。
さて、池田センセイは艶福家としても大活躍され、たびたび雑誌の紙面を賑わせてこら
れた。その中でも最も有名でありながら、当ブログでは取り上げたことがない事件を、こ
の機会に紹介したい。
この事件の当事者である信平信子さんは、昭和31年(1956年)に創価学会に入信し、事
件が起こった昭和48年(1973年)当時は函館圏の婦人部長を務めていたことから、この年、
函館を訪問した池田大作の接遇の責任者を務めた。
問題の出来事は池田来訪の三日目、宿舎として利用されていた創価学会の大沼研修道場
に信平さんが訪れた際に起こった。
> 夜九時に私は、池田の布団を敷きに三階に上がっていったんです。
> すると、初日も二日目も、布団を敷く時いなかった池田が、執務室に居て、何か物
> を書いていたのです。私は、
> 「失礼します」
> と言って、執務室と寝室の間の障子を閉めようとしました。すると池田は、
> 「そのままでいいよ」
> と言う。
> 私は、池田に背を向けて、さっさと布団を敷き、シーツのばそうとしました。
> その時です。
> いきなり池田が背後からのしかかってきたのです。
> そして、肩の方から手を伸ばして、ぐっと私の襟とスリップのひもを一緒に引っ張
> りました。
> 夏ですから、私も薄着で、作業のしやすい恰好をしていましたから、ひとたまりも
> ありません。
> バラバラとボタンがちぎれ飛びました。
> ハッ、ハッという息づかいで、池田が、
> 「下着は一枚だね」
> と言ったのが、耳に残っています。
> うしろ向きのまま、池田は私の身体をまさぐり、そしてもの凄い力で私を押しつけ
> ました。
> 着ているものははぎ取られ、私は声を上げることもできませんでした。そして、池
> 田はさらに後ろから突いてきました。私は俯せになったまま貧血を起し、気を失って
> しまいました。
> どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時は、俯せだったのに、気がつくと
> 私は仰向けで天井をむいていました。
(略)
> 私は、自分のどこに隙があったのか、と布団に入って泣きました。自分が情けなく
> なって朝まで一睡もできず泣いたんです。
> でも翌朝、池田がいった言葉に私は愕然としてしまいました。
> 私を見つけるなり、池田は、
> 「ゆうべはよく眠れたかい。ちょっと目が赤いね」
> と、平然と言い放ったんです。
> 私は、その場に立ちすくんでしまいました。
> この人は一体、何なんでしょう。人間じゃない。そう思いました。
(『週刊新潮』1996年2月22日号)
信平さんは、この事件の後、昭和58年と平成3年にも池田からレイプされたという。
彼女がこのような被害にあいながらも、それを告発することもなく創価学会にとどまり
続けたのは、夫を傷つけたくなかったことと「私が告白することによって、御本尊様を外
護する立場にある学会が打撃を受け、結果的に私自身が御本尊様から離れなければならな
いことになるかも知れないという恐怖、不安感があった」からだという。
私のような外部の人間にとっては理解しがたい心情だが、元学会員が書いた文章を読む
と、「創価学会や池田大作を批判すると仏罰を受ける」と、本気で怯えていた者も珍しく
ないようである。
裁判沙汰が多いことで知られ、出版社を訴えた事例も少なくない創価学会だが、この件
に関しては、週刊新潮や信平さんに対して訴訟を起こしてはいない。
週刊新潮の告発記事の後、信平夫妻は池田大作を訴えたが、裁判では時効の成立を理由
として、池田に責任が負わされることはなかった。
※ 信平夫妻側は、「創価学会からのマインドコントロールが解けた時点をもって時効
の起算点とすべき」と主張したが、創価学会が金にモノを言わせてやり手の弁護士を
集め、巧みな法廷戦術を駆使したこともあって、残念ながら本件の裁判では認められ
なかった(宗教的マインドコントロールを受けていた期間については、時効は進行し
ない、とする判決が出された例もある)。
一連の経緯を見る限り、真相が奈辺にあるかは自ずと明らかであろう。
池田大作には、上述だけでなく女性関係の醜聞がほかにも数多くあるが、奴の悪事はそ
れらにとどまらない。
創価学会が日蓮正宗から破門され、脱会者が相次いだ際には「脱会者は自殺に追い込め」
と学会員たちを扇動した。
「公明党の選挙運動が功徳になる」などというバカげた妄想で学会員を洗脳し、投票所
襲撃事件や集団替え玉投票事件など、民主主義を根底から否定するに等しい悪質な選挙犯
罪に駆り立てた。
独善的で他人の迷惑を顧みない強引な布教活動を学会員に指導し、現在に至るまで多く
の一般人を苦しめ続けている。
麻薬王としても知られる軍事独裁者・ノリエガ将軍と親交を結び、麻薬ビジネスにも関
与していたという話もある。
ヤクザと結託して地上げをやってもいた。
公明党の政治力を私物化し、自身の脱税のもみ消し工作に利用した。
搾取的な金集めによって贅沢に耽り、多くの信者たちやその家族を不幸にしてきたこと
は言うまでもない。
これほどまでに、強欲で、淫恣で、高慢で、狡猾で、厚顔で、下劣で、卑怯で、醜悪な
俗物でありながら、池田大作は創価学会・公明党の力に守られ、何の責任も取ることなく
生涯を終えた。
創価学会員は、この邪悪なこと極まりない池田大作を師匠と呼び、「師弟不二」の信心
とやらを理想としている、本当に度し難い連中である。
何度でもいうが、創価学会はカルトである。それも、これ以下は考えられないというく
らいに最低最悪の。
このような邪教には、一日も早く滅んでほしいと、改めて切に願うものである。