平成29年(2017年)も残すところ、きょう一日だけとなった。皆さまいかがお過ごしだ
ろうか。当ブログは今年3月に開設して以来、望外ともいえる多くの方に閲覧いただいた。
私の拙い文章を読んでくださった皆さまには感謝申し上げたい。
さて、今年も国内外の様々なニュースが世上を騒がせた。主なものを思いつくままに挙
げると、北朝鮮の核・ミサイル問題、米国トランプ政権の混乱、国内に目を転じると、都
議会議員選挙、衆議院総選挙などの出来事が、連日のように新聞の紙面やテレビのニュー
ス・ワイドショーなどで取り上げられた。
それらの出来事の中でも、問題の大きさの割には不自然に大きく報道されたのではない
か、と思われるニュースがある。森友学園・加計学園をめぐる報道である。
この問題は、安倍首相夫妻と懇意にしている人物が経営する学校法人に対して、安倍首
相が便宜を図った、もしくは首相の意向を忖度した官僚が便宜を図ったのではないか、と
いう疑惑である。
行政はすべての国民に対して公平でなければならない。首相との個人的関係によって、
〝えこひいき〟がなされるなど許されないことである。
だから、こうした疑惑をマスコミが追求することじたいは、当然のことである。
しかし、朝日新聞をはじめとする新聞各社や、テレビのワイドショーなどが、半年ほど
この問題を取り上げ続けたにもかかわらず、安倍首相の関与を裏付ける証拠は何もでてこ
ない。
安倍政権がめざす憲法改正を何としも阻止したい左派メディアが、政権打倒を企て、事
実を歪めて報道したのではないか、と取り沙汰する向きもある。
確かに賄賂をもらって便宜を図ったというような明白な不正があったわけでもないのに、
あたかも大疑獄のように報じるメディアの姿勢には、疑問を持たざるを得ない。
私個人としても、左翼の活動家なのかジャーナリストなのか区別しがたい連中が、政治
的目的のために、火のないところに煙を立てるべく騒ぎ立てているだけなのはないか、と
いう印象を受ける。
一方で、問題の大きさの割にマスコミの取り上げ方が過小ではないか、と思われる事象
もある。『文藝春秋』7月号に「都議選で生じた『自公亀裂』の行方」と題した記事が掲
載された(当ブログでは以前この記事を引用したが、再度引用する)。
> ゴールデンウイーク明けの五月十日夕。皇居沿いのあるホテルの車寄せは高級車で
> ごった返していた。
> スーツに身を包んだ男たちが、車を降りるや次々に上階のバンケットホールに向か
> っていった。
> 「ようこそおいでくださいました」
> にこやかに出迎えたのは、公明党の石井啓一国土交通相だ。三十分近くも列をなし
> て待つ大小ゼネコンや建設会社の幹部ら一人一人とあいさつを交わした。
> 経世会の全盛期とは隔世の感があるとはいえ、大手ゼネコンは、いまだに自民党の
> 「選挙マシーン」の一つに数えられる。
> そうはいっても、中央省庁再編で国交省が発足した二〇〇一年以降、のべ十年近く
> にわたって大臣を輩出してきた公明党の「動員令」に業界は逆らえない。まして現職
> の大臣が出迎え、名刺交換すると聞かされれば否も応もない。
> 会合を事前に耳にした自民党建設族の重鎮は露骨に嫌な顔をした。
> 「いくら必死の都議選だからといって、ちょっとやりすぎじゃないか」
> 許認可といいう、「生殺与奪」の権を握る所管官庁の大臣を投入するのは、本来で
> あれば禁じ手だ。
平成29年度の国土交通省の予算は、一般会計と震災復興特別会計を合わせると、約6兆
3千億円にも上る。そして、その大部分が公共事業費である。
巨額の予算と建設業の許認可権を握る国土交通大臣が、公共事業から利益を得ているゼ
ネコンの幹部を選挙前に呼びつけて、「名刺交換」を行う。「選挙ではよろしく」という
含みがあると考えるのは当然である。
石井大臣が、この際に都議選での票の取りまとめを直接依頼したわけではないだろうが、
あたかも国民の税金で票を買ったかのようにみられても、仕方ないのではないだろうか。
この件に関して、テレビや新聞が疑惑追及を行ったという話は聞かない。創価学会とマ
スメディアとの癒着の話は、ずいぶん前から耳にタコができるほど聞かされているのだが。
テレビで聖教新聞のCMを見ない日はないといってもいいほどだが、聖教新聞社という
会社が存在しているわけではない。「聖教新聞社」と独立した企業のごとく称しているが、
聖教新聞社は宗教法人創価学会の一部門に過ぎない。
また、聖教新聞の印刷を大手新聞各社が請け負い、そこから少なからぬ収益を得ている
ことも周知の事実である。特に毎日新聞などは、それなしでは経営が成り立たないほどだ
ともいわれる。
こうした事情がある以上、テレビや新聞各社は、創価学会から広告宣伝費や印刷委託費
などの名目で金をもらっているので、創価学会・公明党に対して及び腰になっているので
はないか、言うなれば「忖度」しているのではないかと、疑いを持たざるを得ない。
創価学会の反社会行為に関する報道は、かつてより確実に少なくなっている。それは彼
らが社会と折り合いをつけられるようになったからではなく、潤沢な資金力でメディアを
掌握しつつあるからではないだろうか。
私は創価学会には、現在もなお反社会的傾向が多分にあると考えている。ただ嫌がらせ
などの手口がより狡猾になったことや、メディアや権力に浸透したことで、批判的言説の
流布を食い止められるようになっただけだ。
創価学会の問題点については、当ブログでまだ論じていないことが少なからずある。来
年も引き続き、この反社会的カルトの害悪を訴えていく所存である。
2017年12月31日日曜日
2017年12月29日金曜日
書評『「人間革命」の読み方』
本書の著者、島田裕巳氏は言わずと知れた著名な宗教学者であり、創価学会についての
著作も少なくない。
この本では題名のとおり、表向き池田大作の代表作ということになっている『人間革命』
『新・人間革命』、戸田城聖著『人間革命』、丹波哲郎主演による映画版「人間革命」の
内容が紹介されているほか、それらの作品で語られている出来事について、別の資料に基
づいた観点からの考察も加えられている。
※ 以下、本稿で『人間革命』について言及する場合、池田大作版『人間革命』につい
て述べる。
特に『人間革命』については、全12巻のあらすじが書かれている。創価学会を理解する
上で『人間革命』は外せないが、その『人間革命』を未読の一般人にも配慮した構成とな
っている。
また、『人間革命』の本当の著者は篠原善太郎氏であったこと、創価学会第二代会長で
あった戸田城聖が、酒を飲みながら講義や講演を行っていたことにも触れられている。
中でも興味深かったのは、『人間革命』の「第2版」について論じられた箇所である。
創価学会は、平成3年(1991年)に日蓮正宗から破門されたが、『人間革命』の大部分は、
それ以前に執筆されているため、当ブログでも論じてきたように、現在の創価学会にとっ
ては不都合な箇所も少なくない。
そうした箇所が第2版では、書き換えられているのだという。島田氏はこの点について、
「いったんは正史として記述された出来事が、後世において書き替えられるということは、
歴史の改竄にもなりかねない」と批判している。
現在の創価学会では、『人間革命』『新・人間革命』について、「精神の正史」「信心
の教科書」と位置づけている。その「精神の正史」を、都合が悪くなったからといって平
気で改竄することが、創価学会員にとっては〝正しい信仰〟なのであろうか。
これではインチキ宗教といわれて当然である。まあ、カルト信者に何を言ったところで、
カエルの面に小便であろうが。
それはされおき、私はこれまで島田氏の著書から多くのことを教えられてきた。本作か
らも学び得たことが少なからずあった。今後、当ブログでもそれを役立てたいと考えてい
る。
上述のように、本書は『人間革命』を読んでいない者にも、理解しやすいように工夫し
て書かれているので、創価学会に関心はあるが、今まで『人間革命』を手に取ったことは
ないという方にとっても、一読の価値はあるのではないかと思う。
私はたいへん興味深く読んだが、敢えて欲を言えば、もう少し批判的でもよいのではな
いかと思わないでもない。著者の宗教学者としての立場上、研究対象に対して過度に攻撃
的なスタンスはとりづらいことは十分理解できるが。
※ 『「人間革命」の読み方』(ベスト新書)は、2017年12月20日付で発行された。
著作も少なくない。
この本では題名のとおり、表向き池田大作の代表作ということになっている『人間革命』
『新・人間革命』、戸田城聖著『人間革命』、丹波哲郎主演による映画版「人間革命」の
内容が紹介されているほか、それらの作品で語られている出来事について、別の資料に基
づいた観点からの考察も加えられている。
※ 以下、本稿で『人間革命』について言及する場合、池田大作版『人間革命』につい
て述べる。
特に『人間革命』については、全12巻のあらすじが書かれている。創価学会を理解する
上で『人間革命』は外せないが、その『人間革命』を未読の一般人にも配慮した構成とな
っている。
また、『人間革命』の本当の著者は篠原善太郎氏であったこと、創価学会第二代会長で
あった戸田城聖が、酒を飲みながら講義や講演を行っていたことにも触れられている。
中でも興味深かったのは、『人間革命』の「第2版」について論じられた箇所である。
創価学会は、平成3年(1991年)に日蓮正宗から破門されたが、『人間革命』の大部分は、
それ以前に執筆されているため、当ブログでも論じてきたように、現在の創価学会にとっ
ては不都合な箇所も少なくない。
そうした箇所が第2版では、書き換えられているのだという。島田氏はこの点について、
「いったんは正史として記述された出来事が、後世において書き替えられるということは、
歴史の改竄にもなりかねない」と批判している。
現在の創価学会では、『人間革命』『新・人間革命』について、「精神の正史」「信心
の教科書」と位置づけている。その「精神の正史」を、都合が悪くなったからといって平
気で改竄することが、創価学会員にとっては〝正しい信仰〟なのであろうか。
これではインチキ宗教といわれて当然である。まあ、カルト信者に何を言ったところで、
カエルの面に小便であろうが。
それはされおき、私はこれまで島田氏の著書から多くのことを教えられてきた。本作か
らも学び得たことが少なからずあった。今後、当ブログでもそれを役立てたいと考えてい
る。
上述のように、本書は『人間革命』を読んでいない者にも、理解しやすいように工夫し
て書かれているので、創価学会に関心はあるが、今まで『人間革命』を手に取ったことは
ないという方にとっても、一読の価値はあるのではないかと思う。
私はたいへん興味深く読んだが、敢えて欲を言えば、もう少し批判的でもよいのではな
いかと思わないでもない。著者の宗教学者としての立場上、研究対象に対して過度に攻撃
的なスタンスはとりづらいことは十分理解できるが。
※ 『「人間革命」の読み方』(ベスト新書)は、2017年12月20日付で発行された。
2017年12月24日日曜日
書評『内側から見る創価学会と公明党』
この本の著者である浅山太一氏は、題名のとおり創価学会の「内側」の人間、つまり創
価学会員である。帯にも「創価学会員の著者が、緻密な資料分析をもとに解き明かす」と
か、「称賛でも告発でもなく」などと書かれている。
学会員の手による創価批判といえば、創価学会への不満について、池田大作の子息への
直訴を繰り返して除名処分された元本部職員三人による『実名告発 創価学会』において典
型的に見られるように、「池田大作は絶対に正しいが、今の創価学会は池田先生の思想か
ら離れているのでダメだ」という、いまだ洗脳から解放されていない者による、中途半端
な内容のものが時に見受けられる。
実を言うと私は、この本も「称賛でも告発でもなく」という自称とは裏腹に、著者が洗
脳されているが故に、批判精神に欠け池田大作を礼賛する内容となっているのではないか、
という懐疑的な予断をもって読みはじめた。
しかし、私の危惧はよい意味で裏切られた。この本には、現在の創価学会にとって、都
合が悪いと思われる池田大作の過去の言動も引用されている。例えば、次のような発言で
ある。
> 断固としてわが同志を国会へ送り出し、いままで三類の強敵にいじめられてきたけ
> れども、こんどは、日蓮正宗創価学会にをいじめるものを、こちらから反対におさえ
> ていく、力をもって反対にこんどは、弾圧していくというところまで、団結をもって
> すすんでいこうではありませんか。(p-167)
> 学会を離れれば、功徳がないといってもいいし、それから地獄に落ちる場合もあり
> ます。(p-223)
また、近年、創価学会・公明党の矛盾を擁護するために、カルト丸出しの珍理論を振り
かざす内容の本を書いている創価学会の論客・松岡幹夫氏の主張に言及した箇所について
は、辛辣とまではいわないが、相当に批判的に書かれている。
一読して、著者はかなり誠実な人物ではないか、という印象を受けた。誠実さが美徳で
あることは当然であるが、この美徳は、創価学会員の中にはまず見られることのない徳性
である。
私がこれまでに実社会で知己を得た創価学会員は、相手の迷惑をかえりみない強引な勧
誘をしてきたり、それに応じなければ事実無根のウソ八百をいいふらして陥れようと画策
したりと、卑怯・卑劣そのものといっていい連中ばかりであり、誠実さなど毛ほども持ち
合わせてはいなかった。
学会員の中にも、浅山氏のような方が稀にはいるのだろう。しかし、創価学会という組
織は、彼のような人間にとって、居心地がいいとは言えないと思うのだが……。
とはいえ、著書の主張すべてに同意できるわけではない。浅山氏は、創価学会はカルト
ではない、と主張している。
> もしここまでの議論を読んで、やはり創価学会は頭のおかしいカルト教団だったと
> 総括する人がいるのなら、それはこの社会運動をまったく理解していないと言わざる
> をえないと私は思う。カルトだファッショだと罵倒されながらも、新規の会員を獲得
> し、既存の会員のフォローアップを続けてきたからこそ、政権与党の一角を占める政
> 党を作りだすまでの影響力をもった巨大集団がいまもある。(p-189~190)
先に引用したように、池田大作は〈国会に同志を送り込むことで、創価学会に対する反
対派を弾圧することを目指す〉という趣旨の発言をしていたのである。
その池田を教祖として崇め奉る連中が、「政権与党の一角を占める政党を作りだすまで
の影響力をもった巨大集団」として存在していることは、一般の人々にとっては恐怖心を
抱かざるを得ない事態だし、そのような集団がカルト呼ばわりされるのは当然のことだと
私は思う。
賛同できない点はあるにしろ、本書は学会員によって書かれたにしては、創価学会に対
して批判的な箇所も多く、有益な示唆を受けた部分も少なからずあった。率直にいって読
み応えがあった。
著者はあとがきを「次回作にご期待ください」と締めくくっているが、私も一読者とし
て、浅山氏の次回作には大いに期待したいと思っている。
※ 『内側から見る創価学会と公明党』(ディスカヴァー携書)は、2017年12月15日
付で発行された。
著者の専門が社会学ということもあって、創価学会の発展を可能にした社会的背景
への考察等にかなりの紙幅が割かれており、創価学会内部の不祥事や学会員による反
社会行為の暴露などは一切ない。
本稿をお読みになって、購読を思い立たれた方は、ご留意いただきたい。
価学会員である。帯にも「創価学会員の著者が、緻密な資料分析をもとに解き明かす」と
か、「称賛でも告発でもなく」などと書かれている。
学会員の手による創価批判といえば、創価学会への不満について、池田大作の子息への
直訴を繰り返して除名処分された元本部職員三人による『実名告発 創価学会』において典
型的に見られるように、「池田大作は絶対に正しいが、今の創価学会は池田先生の思想か
ら離れているのでダメだ」という、いまだ洗脳から解放されていない者による、中途半端
な内容のものが時に見受けられる。
実を言うと私は、この本も「称賛でも告発でもなく」という自称とは裏腹に、著者が洗
脳されているが故に、批判精神に欠け池田大作を礼賛する内容となっているのではないか、
という懐疑的な予断をもって読みはじめた。
しかし、私の危惧はよい意味で裏切られた。この本には、現在の創価学会にとって、都
合が悪いと思われる池田大作の過去の言動も引用されている。例えば、次のような発言で
ある。
> 断固としてわが同志を国会へ送り出し、いままで三類の強敵にいじめられてきたけ
> れども、こんどは、日蓮正宗創価学会にをいじめるものを、こちらから反対におさえ
> ていく、力をもって反対にこんどは、弾圧していくというところまで、団結をもって
> すすんでいこうではありませんか。(p-167)
> 学会を離れれば、功徳がないといってもいいし、それから地獄に落ちる場合もあり
> ます。(p-223)
また、近年、創価学会・公明党の矛盾を擁護するために、カルト丸出しの珍理論を振り
かざす内容の本を書いている創価学会の論客・松岡幹夫氏の主張に言及した箇所について
は、辛辣とまではいわないが、相当に批判的に書かれている。
一読して、著者はかなり誠実な人物ではないか、という印象を受けた。誠実さが美徳で
あることは当然であるが、この美徳は、創価学会員の中にはまず見られることのない徳性
である。
私がこれまでに実社会で知己を得た創価学会員は、相手の迷惑をかえりみない強引な勧
誘をしてきたり、それに応じなければ事実無根のウソ八百をいいふらして陥れようと画策
したりと、卑怯・卑劣そのものといっていい連中ばかりであり、誠実さなど毛ほども持ち
合わせてはいなかった。
学会員の中にも、浅山氏のような方が稀にはいるのだろう。しかし、創価学会という組
織は、彼のような人間にとって、居心地がいいとは言えないと思うのだが……。
とはいえ、著書の主張すべてに同意できるわけではない。浅山氏は、創価学会はカルト
ではない、と主張している。
> もしここまでの議論を読んで、やはり創価学会は頭のおかしいカルト教団だったと
> 総括する人がいるのなら、それはこの社会運動をまったく理解していないと言わざる
> をえないと私は思う。カルトだファッショだと罵倒されながらも、新規の会員を獲得
> し、既存の会員のフォローアップを続けてきたからこそ、政権与党の一角を占める政
> 党を作りだすまでの影響力をもった巨大集団がいまもある。(p-189~190)
先に引用したように、池田大作は〈国会に同志を送り込むことで、創価学会に対する反
対派を弾圧することを目指す〉という趣旨の発言をしていたのである。
その池田を教祖として崇め奉る連中が、「政権与党の一角を占める政党を作りだすまで
の影響力をもった巨大集団」として存在していることは、一般の人々にとっては恐怖心を
抱かざるを得ない事態だし、そのような集団がカルト呼ばわりされるのは当然のことだと
私は思う。
賛同できない点はあるにしろ、本書は学会員によって書かれたにしては、創価学会に対
して批判的な箇所も多く、有益な示唆を受けた部分も少なからずあった。率直にいって読
み応えがあった。
著者はあとがきを「次回作にご期待ください」と締めくくっているが、私も一読者とし
て、浅山氏の次回作には大いに期待したいと思っている。
※ 『内側から見る創価学会と公明党』(ディスカヴァー携書)は、2017年12月15日
付で発行された。
著者の専門が社会学ということもあって、創価学会の発展を可能にした社会的背景
への考察等にかなりの紙幅が割かれており、創価学会内部の不祥事や学会員による反
社会行為の暴露などは一切ない。
本稿をお読みになって、購読を思い立たれた方は、ご留意いただきたい。
2017年12月17日日曜日
数珠さすりと弟子分帳
「御本仏」を気取る池田大作は、自分の食べ残しの回し食い強要のほかにも、バカげた
振る舞いをしばしば行った。今回はそれらの中から、代表的なもの二つを取り上げたい。
1 数珠さすり
池田大作はかつて、「私が祈って死んだ人はいない」などと豪語しており、病気治しの
祈祷のようなことも行っていた。それがこの「数珠さすり」である。
池田は、病気を治すためと称して、「南無妙法蓮華経」と唱えながら、病人の体を数珠
でさすったり、患部を叩いたりしていたという。
池田は、この数珠さすりによって、自分の母親を死の淵から救ったと自慢していた。創
価学会の元教学部長・原島嵩氏が、著書にこのことを詳しく述べているので、該当する一
節を引用する。
> 池田は〝数珠さすり〟のマジナイを自分の母親にも行ないました。
> 「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のおふくろは八十一歳になるが、実
> は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意
> した。私も久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初め
> て数珠を持って題目を唱えながら、もう死の寸前のおふくろの体じゅうをさすってあ
> げた。足も全部冷たくなっていた。―中略―すると六月末に死ぬのが、死ななくなっ
> てねぇー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を初
> 歩から始めるといっていた」(S51・8・22、内部文書)
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より引用)
原島氏はこの話を「ウソ」と断じている。
また、原島氏自身も、心臓の具合がが悪くて休んでいた際に、池田から数珠さすりを受
けたことがあったという。原島氏は前掲書でその体験について、「私はかえって気持ち悪
くなりました」と述べている。
数珠でさすっただけで、死にそうな病人が急回復するのであれば、こんな結構なことは
ない。そのような奇蹟を起こす教祖がいる宗教ならば、発展するのも納得できる。
だが、当然のことながら、池田大作にそんな力などない。実際、後継者候補として期待
をかけていた実子すら救えなかったことは、以前述べたとおりである(「池田城久の死」
参照)。
あきれたことに池田は、この数珠さすりを、日蓮正宗の高僧に対しても行っていたとい
う。こうした増上慢そのものの振る舞いが、宗門内部に創価学会なかんずく池田大作への
不満を鬱積させ、後に破門される一因となったのであろう。
2 弟子分帳
「弟子分帳」とは、池田大作から忠実な弟子として認められた学会幹部の名を記した名
簿のことである。
元公明党委員長・矢野絢也氏の著書、『私が愛した池田大作』によると、法華経の「五
百弟子受記品」にならって、池田は五百人の弟子を「永久名簿」に載せたという。
※ 矢野氏は「弟子分帳」という表現を用いず、「永久名簿」という呼称を用いている
が、同様の名簿の存在については、脱会した元副会長である福島源次郎氏や、元教学
部長の原島嵩氏も言及しており、福島氏や原島氏は、この名簿について「弟子分帳」
という表現を用いていることから、そちらの方が正式な名称であったと考えられる。
法華経の五百弟子受記品とは、釈尊の五百人の弟子が、釈尊から「授記」を受ける場面
を描いた章である。「授記」とは「将来、悟りを開いて仏になれる」という予言のことで
ある。つまり、池田は仏を気取って、弟子に授記を与えていたということになる。
この弟子分帳に名前を載せられた者には、それぞれ「広宣流布の新弟子たるを証す」と
記した証書が与えられた。この証書には通し番号が記されており、第1号は原島嵩氏だっ
た。その原島氏が、証書を渡された際のことを以下のように述べている。
> さらに「弟子分帳」の証書を手渡すにあたって、「私が、赤く〝背きおわんぬ〟
> (背いてしまった)と一度、朱線を入れてそう書けば、もうその人間は生々世々地獄
> なのである。もう二度と人間に生まれてこない、ということだ」という趣旨の話を何
> 回かしていました。
> 私は当時、厳粛な気持ちで聞いていましたが、いまとなって、池田の謗法の根の深
> さに身ぶるいがします。仏でなければ、このようなことは言えません。いや、たとえ
> 背いた人であったとしてもすべて救うというのが仏の慈悲の精神です。
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より引用)
また矢野氏も、この証書を池田からもらった当初は、「忠実な弟子」として認められた
という旗本意識を煽られ、より忠誠心・使命感が強まったと述べているが、その後、この
名簿に記載されたことが重荷になっていったという。
> ただこの「永久名簿」、我々を縛る脅威として次第に厄介な存在になっていった。
> 何か池田氏の気に食わないことをしでかすと、
> 「名簿に『この者、背き了んぬ』と書くぞ」
> というのが最大の脅し文句になってしまったのだ。「こいつは師に背いた」という
> わけで、名簿に赤線が引かれる。これでその者は地獄行きだ。言われた弟子は慌てて
> 地にひれ伏し、必死で許しを請うたものである。思えばあれほど畳に額をこすりつけ、
> 平謝りに謝る人間の姿というものを、学会以外で目にした覚えはない。
(矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)
「師に背いた」として名簿に朱線を入れると脅された学会幹部が、「畳に額をこすりつ
け、平謝りに謝」ったのは、来世で地獄に堕ちるのが恐ろしかったからなのか、学会内で
の絶対権力者である池田大作から敵視されれば、学会での地位や学会から得ている報酬を
失うことになる(公明党議員であれば、次の選挙で公認されない)からであろうか。ある
いはその両方だったのであろうか。
いずれにしろ、このような脅しで人を従わせようとする池田大作が、仏法など何も理解
しておらず、仏からは程遠い存在であることは、疑う余地なし、であろう。
矢野氏は、上記に続く一節で「遅まきながら池田氏の呪縛から解かれて、何よりも大切
な精神の自由を得た」と述べている。
池田大作の如き愚物を崇め、創価学会の支離滅裂な教義を信じて、精神の自由を失った
生き方をするくらいならば、「一人立つ」という心意気をもって、自由な生き方をした方
が、よほど幸福であろうと私も思う。
まあ、たいていの学会員は「畜群」同然の連中であるから、池田大作の威光を振りかざ
して、やりたい放題やっている学会幹部に従う生き方のほうが幸せなのかもしれないが。
補足 「弟子分帳」が作られた時期
矢野氏の前掲書によると、「永久名簿」が作られたのは昭和42年(1967年)のことだっ
たとされているが、原島嵩氏や福島源次郎氏は、「弟子分帳」が作られたのは昭和50年頃
と述べている(原島氏の証言は前掲書、福島氏については『蘇生への選択』による)。
また、元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏の著書、『創価学会と「水滸会記録」』には
山崎氏が受け取った弟子証書の写真が掲載されているが、その日付は昭和51年(1976年)
7月3日となっている(ちなみに山崎氏の証書の通し番号は「第三十三号」である)。
この写真は決定的な証拠と思われるので、矢野氏の記述はあるいは記憶違いによるもの
ではないかと疑われるが、ひょっとしたら、公明党議員とそれ以外の学会幹部とでは、異
なる時期に「弟子分帳」を作成したのかもしれない。
振る舞いをしばしば行った。今回はそれらの中から、代表的なもの二つを取り上げたい。
1 数珠さすり
池田大作はかつて、「私が祈って死んだ人はいない」などと豪語しており、病気治しの
祈祷のようなことも行っていた。それがこの「数珠さすり」である。
池田は、病気を治すためと称して、「南無妙法蓮華経」と唱えながら、病人の体を数珠
でさすったり、患部を叩いたりしていたという。
池田は、この数珠さすりによって、自分の母親を死の淵から救ったと自慢していた。創
価学会の元教学部長・原島嵩氏が、著書にこのことを詳しく述べているので、該当する一
節を引用する。
> 池田は〝数珠さすり〟のマジナイを自分の母親にも行ないました。
> 「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のおふくろは八十一歳になるが、実
> は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意
> した。私も久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初め
> て数珠を持って題目を唱えながら、もう死の寸前のおふくろの体じゅうをさすってあ
> げた。足も全部冷たくなっていた。―中略―すると六月末に死ぬのが、死ななくなっ
> てねぇー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を初
> 歩から始めるといっていた」(S51・8・22、内部文書)
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より引用)
原島氏はこの話を「ウソ」と断じている。
また、原島氏自身も、心臓の具合がが悪くて休んでいた際に、池田から数珠さすりを受
けたことがあったという。原島氏は前掲書でその体験について、「私はかえって気持ち悪
くなりました」と述べている。
数珠でさすっただけで、死にそうな病人が急回復するのであれば、こんな結構なことは
ない。そのような奇蹟を起こす教祖がいる宗教ならば、発展するのも納得できる。
だが、当然のことながら、池田大作にそんな力などない。実際、後継者候補として期待
をかけていた実子すら救えなかったことは、以前述べたとおりである(「池田城久の死」
参照)。
あきれたことに池田は、この数珠さすりを、日蓮正宗の高僧に対しても行っていたとい
う。こうした増上慢そのものの振る舞いが、宗門内部に創価学会なかんずく池田大作への
不満を鬱積させ、後に破門される一因となったのであろう。
2 弟子分帳
「弟子分帳」とは、池田大作から忠実な弟子として認められた学会幹部の名を記した名
簿のことである。
元公明党委員長・矢野絢也氏の著書、『私が愛した池田大作』によると、法華経の「五
百弟子受記品」にならって、池田は五百人の弟子を「永久名簿」に載せたという。
※ 矢野氏は「弟子分帳」という表現を用いず、「永久名簿」という呼称を用いている
が、同様の名簿の存在については、脱会した元副会長である福島源次郎氏や、元教学
部長の原島嵩氏も言及しており、福島氏や原島氏は、この名簿について「弟子分帳」
という表現を用いていることから、そちらの方が正式な名称であったと考えられる。
法華経の五百弟子受記品とは、釈尊の五百人の弟子が、釈尊から「授記」を受ける場面
を描いた章である。「授記」とは「将来、悟りを開いて仏になれる」という予言のことで
ある。つまり、池田は仏を気取って、弟子に授記を与えていたということになる。
この弟子分帳に名前を載せられた者には、それぞれ「広宣流布の新弟子たるを証す」と
記した証書が与えられた。この証書には通し番号が記されており、第1号は原島嵩氏だっ
た。その原島氏が、証書を渡された際のことを以下のように述べている。
> さらに「弟子分帳」の証書を手渡すにあたって、「私が、赤く〝背きおわんぬ〟
> (背いてしまった)と一度、朱線を入れてそう書けば、もうその人間は生々世々地獄
> なのである。もう二度と人間に生まれてこない、ということだ」という趣旨の話を何
> 回かしていました。
> 私は当時、厳粛な気持ちで聞いていましたが、いまとなって、池田の謗法の根の深
> さに身ぶるいがします。仏でなければ、このようなことは言えません。いや、たとえ
> 背いた人であったとしてもすべて救うというのが仏の慈悲の精神です。
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より引用)
また矢野氏も、この証書を池田からもらった当初は、「忠実な弟子」として認められた
という旗本意識を煽られ、より忠誠心・使命感が強まったと述べているが、その後、この
名簿に記載されたことが重荷になっていったという。
> ただこの「永久名簿」、我々を縛る脅威として次第に厄介な存在になっていった。
> 何か池田氏の気に食わないことをしでかすと、
> 「名簿に『この者、背き了んぬ』と書くぞ」
> というのが最大の脅し文句になってしまったのだ。「こいつは師に背いた」という
> わけで、名簿に赤線が引かれる。これでその者は地獄行きだ。言われた弟子は慌てて
> 地にひれ伏し、必死で許しを請うたものである。思えばあれほど畳に額をこすりつけ、
> 平謝りに謝る人間の姿というものを、学会以外で目にした覚えはない。
(矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)
「師に背いた」として名簿に朱線を入れると脅された学会幹部が、「畳に額をこすりつ
け、平謝りに謝」ったのは、来世で地獄に堕ちるのが恐ろしかったからなのか、学会内で
の絶対権力者である池田大作から敵視されれば、学会での地位や学会から得ている報酬を
失うことになる(公明党議員であれば、次の選挙で公認されない)からであろうか。ある
いはその両方だったのであろうか。
いずれにしろ、このような脅しで人を従わせようとする池田大作が、仏法など何も理解
しておらず、仏からは程遠い存在であることは、疑う余地なし、であろう。
矢野氏は、上記に続く一節で「遅まきながら池田氏の呪縛から解かれて、何よりも大切
な精神の自由を得た」と述べている。
池田大作の如き愚物を崇め、創価学会の支離滅裂な教義を信じて、精神の自由を失った
生き方をするくらいならば、「一人立つ」という心意気をもって、自由な生き方をした方
が、よほど幸福であろうと私も思う。
まあ、たいていの学会員は「畜群」同然の連中であるから、池田大作の威光を振りかざ
して、やりたい放題やっている学会幹部に従う生き方のほうが幸せなのかもしれないが。
補足 「弟子分帳」が作られた時期
矢野氏の前掲書によると、「永久名簿」が作られたのは昭和42年(1967年)のことだっ
たとされているが、原島嵩氏や福島源次郎氏は、「弟子分帳」が作られたのは昭和50年頃
と述べている(原島氏の証言は前掲書、福島氏については『蘇生への選択』による)。
また、元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏の著書、『創価学会と「水滸会記録」』には
山崎氏が受け取った弟子証書の写真が掲載されているが、その日付は昭和51年(1976年)
7月3日となっている(ちなみに山崎氏の証書の通し番号は「第三十三号」である)。
この写真は決定的な証拠と思われるので、矢野氏の記述はあるいは記憶違いによるもの
ではないかと疑われるが、ひょっとしたら、公明党議員とそれ以外の学会幹部とでは、異
なる時期に「弟子分帳」を作成したのかもしれない。