2017年12月24日日曜日

書評『内側から見る創価学会と公明党』

 この本の著者である浅山太一氏は、題名のとおり創価学会の「内側」の人間、つまり創
価学会員である。帯にも「創価学会員の著者が、緻密な資料分析をもとに解き明かす」と
か、「称賛でも告発でもなく」などと書かれている。

 学会員の手による創価批判といえば、創価学会への不満について、池田大作の子息への
直訴を繰り返して除名処分された元本部職員三人による『実名告発 創価学会』において典
型的に見られるように、「池田大作は絶対に正しいが、今の創価学会は池田先生の思想か
ら離れているのでダメだ」という、いまだ洗脳から解放されていない者による、中途半端
な内容のものが時に見受けられる。

 実を言うと私は、この本も「称賛でも告発でもなく」という自称とは裏腹に、著者が洗
脳されているが故に、批判精神に欠け池田大作を礼賛する内容となっているのではないか、
という懐疑的な予断をもって読みはじめた。

 しかし、私の危惧はよい意味で裏切られた。この本には、現在の創価学会にとって、都
合が悪いと思われる池田大作の過去の言動も引用されている。例えば、次のような発言で
ある。


>  断固としてわが同志を国会へ送り出し、いままで三類の強敵にいじめられてきたけ
> れども、こんどは、日蓮正宗創価学会にをいじめるものを、こちらから反対におさえ
> ていく、力をもって反対にこんどは、弾圧していくというところまで、団結をもって
> すすんでいこうではありませんか。(p-167)

>  学会を離れれば、功徳がないといってもいいし、それから地獄に落ちる場合もあり
> ます。(p-223)


 また、近年、創価学会・公明党の矛盾を擁護するために、カルト丸出しの珍理論を振り
かざす内容の本を書いている創価学会の論客・松岡幹夫氏の主張に言及した箇所について
は、辛辣とまではいわないが、相当に批判的に書かれている。

 一読して、著者はかなり誠実な人物ではないか、という印象を受けた。誠実さが美徳で
あることは当然であるが、この美徳は、創価学会員の中にはまず見られることのない徳性
である。

 私がこれまでに実社会で知己を得た創価学会員は、相手の迷惑をかえりみない強引な勧
誘をしてきたり、それに応じなければ事実無根のウソ八百をいいふらして陥れようと画策
したりと、卑怯・卑劣そのものといっていい連中ばかりであり、誠実さなど毛ほども持ち
合わせてはいなかった。

 学会員の中にも、浅山氏のような方が稀にはいるのだろう。しかし、創価学会という組
織は、彼のような人間にとって、居心地がいいとは言えないと思うのだが……。

 とはいえ、著書の主張すべてに同意できるわけではない。浅山氏は、創価学会はカルト
ではない、と主張している。


>  もしここまでの議論を読んで、やはり創価学会は頭のおかしいカルト教団だったと
> 総括する人がいるのなら、それはこの社会運動をまったく理解していないと言わざる
> をえないと私は思う。カルトだファッショだと罵倒されながらも、新規の会員を獲得
> し、既存の会員のフォローアップを続けてきたからこそ、政権与党の一角を占める政
> 党を作りだすまでの影響力をもった巨大集団がいまもある。(p-189~190)


 先に引用したように、池田大作は〈国会に同志を送り込むことで、創価学会に対する反
対派を弾圧することを目指す〉という趣旨の発言をしていたのである。

 その池田を教祖として崇め奉る連中が、「政権与党の一角を占める政党を作りだすまで
の影響力をもった巨大集団」として存在していることは、一般の人々にとっては恐怖心を
抱かざるを得ない事態だし、そのような集団がカルト呼ばわりされるのは当然のことだと
私は思う。

 賛同できない点はあるにしろ、本書は学会員によって書かれたにしては、創価学会に対
して批判的な箇所も多く、有益な示唆を受けた部分も少なからずあった。率直にいって読
み応えがあった。

 著者はあとがきを「次回作にご期待ください」と締めくくっているが、私も一読者とし
て、浅山氏の次回作には大いに期待したいと思っている。


 ※ 『内側から見る創価学会と公明党』(ディスカヴァー携書)は、2017年12月15日
  付で発行された。
   著者の専門が社会学ということもあって、創価学会の発展を可能にした社会的背景
  への考察等にかなりの紙幅が割かれており、創価学会内部の不祥事や学会員による反
  社会行為の暴露などは一切ない。
   本稿をお読みになって、購読を思い立たれた方は、ご留意いただきたい。