創価学会の第二代会長・戸田城聖は、昭和33年(1958年)4月2日に死去したが、生前、
後継者を明確に指名していなかったため、その2年後、昭和35年(1960年)5月3日に池田大
作が第三代会長に就任するまで、会長職は空位だった。
しかし、池田大作は第三代会長に就任した後になって、戸田の死の一月ほど前の3月1日、
大石寺で大講堂落慶法要が営まれた際に、自分が後継者として指名されていた、と言い出
した。『人間革命』第十二巻には、その場面が以下のように描かれている。
> 清原かつ、森川一正もやって来て、戸田を囲むようにしてエレベーターに向かった。
> エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。
> そして、静かだが、力をこめて言った。
> 「さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、
> あとはお前だ。頼むぞ!」
> 伸一の体に電撃が走った。伸一は、緊張した面持ちで戸田を凝視した。二人の眼と
> 眼が光った。
> 「はい!」
> 自らを鼓舞する、深い決意を秘めた声であった。それだけで、言葉はなかった。静
> 寂のなかに、戸田のやや荒い息遣いが聞こえた。師と弟子は、無限の生命の言葉を交
> わすかのように、沈黙したまま互いの顔を見つめ合った。それは厳粛な瞬間であった。
> 清原と森川も、緊張した表情でこのやりとりを見ていた。二人は、戸田と伸一の厳
> 粛な瞬間の姿のなかに、師から弟子への広布の継承を鋭く感じとったにちがいない。
> それから戸田は、大きく頷くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレベーターは六階
> に着いた。
※ 『人間革命』では、ほとんどの登場人物が仮名で書かれている。
清原かつ=柏原ヤス、森川一正=森田一哉、山本伸一=池田大作。
この逸話は、学会内では「エレベーター相承」と言われている。『人間革命』第十二巻
は、平成5年(1993年)に出版されているが、「エレベーター相承」の話は、学会機関誌
『大白蓮華』などで早くから広められていた。
しかし、誰を第三代会長にするかについて、学会内で意見がまとまっていなかった時期
には知られていなかった話が、池田が会長になった後に広められたというの奇妙である。
学会幹部であった柏原氏や森田氏が、本当に「エレベーター相承」に立ち会っていたの
ならば、なぜ彼らはこの話をもっと早くに言い出さなかったのだろうか。
当時、創価学会理事だった石田次男氏が、この後継者問題について、著書『内外一致の
妙法 この在るべからざるもの』で、まったく別の証言をしている。
> 戸田先生は、この儀式の祝宴散会後の午後四時頃、その場その席で、理事長以下祝
> 宴に参加した全員に対して『次の会長は皆で相談して決めろ、皆で仲良くやっていけ』
> と仰言ったではないか。そしてその席に池田氏は参加していなかったし、それでも当
> 日の内には耳にしたはずではないか。池田氏の言いぶりでは、戸田先生は理事長以下、
> 理事・支部長・常任委員・婦人部長・男女青年部長の全員を騙したことになる。考え
> てもみるべきだ。学会にとっての大事が、エレベーターの中などと、こんな中で行わ
> れるものか。万人仰天の巻ではないか。
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より引用〔孫引き〕)
戸田城聖の死の直後は、初代会長が死去してから七年間、会長職は空位だったのだから、
当面は次の会長は指名しなくてはよいのではないか、という空気が学会内部では支配的だ
ったという。
もし本当に、その当時学会理事だった柏原ヤス氏と、青年部参謀だった森田一哉氏との
立会いのもと、戸田城聖が池田大作を後継者として指名していたならば、第三代会長はす
んなりと決まっていたはずである。
石田氏が主張するように、『人間革命』第十二巻に書かれているような「エレベーター
相承」など、実際にはなかったと考える方が自然だろう。
しかしながら、この作り話は学会内で〝池田神話〟の一部として、広く信じられるよう
になり、かつて石田次男氏が後継者候補の筆頭だったことなど、ほとんど忘れ去られるま
でになった。
池田大作は、昭和33年(1958年)当時は、創価学会の青年部参謀室長だったが、大蔵商
事の営業部長でもあり、破格の給料を得ていた。そして、その金で他の学会幹部に食事を
おごるなどして手なづけていた。
元公明党都議・龍年光氏は著書で、当時の池田の動きを述べている。
> 池田は、先生の死期を察して、次の会長の座を睨んで動き回っていたのだ。学会の
> 最も重大な時期に先生の側を離れ、派閥作りを始める。戸田先生が常に戒めてきた、
> 学会にとって最も害のある行動である。
> 実は池田は、戸田先生のお元気な時から、青年部の主要なメンバー(北条浩、森田
> 一哉、中西治雄、星野義男等)に自分を「先生」と呼ばせていたことを、私は後で知
> って愕然とした。
(龍年光著『池田創価学会を解散させよ』より引用)
池田大作に、人を従わせるカリスマ性があったのは事実なのであろう。また、金貸しと
しての天分に恵まれ、金融会社・大蔵商事では随一の稼ぎ頭でもあった。人をまとめ上げ
る統率力もあった。
しかし、どう考えても彼に宗教指導者としての資質があるとは思えない。
戸田城聖も、日蓮正宗という宗教を金儲けのために利用したが、それでも一方では狂信
的なまでに日蓮正宗を信仰してもいた。
戸田城聖のもとでの創価学会も、反社会的なカルトだったが、多くの新興宗教は創成期
には社会と衝突しても、次第に丸くなってトラブルは少なくなるのが普通である。
もし仮に、石田次男氏が第三代会長になっていたならば、創価学会もそうなっていたの
ではないだろうか。
池田大作は、宗教とビジネスを一体化させる戸田城聖のやり方を受け継ぎ、それを自分
の権勢欲を満たすために利用した。そのために創価学会を〝池田教〟に作り変えた。
現在の創価学会では、権力を握るためなら平然とウソをつき、勝つためなら手段を選ば
ない池田大作を信者の模範とし、「永遠の師匠」と呼んで崇め奉っている。
創価学会は、池田大作が後を継ぎ、長年にわたり支配しつづけたことにより、戸田時代
よりも悪質になってしまったのだ。
このような邪悪なカルトを、これ以上のさらせるわけにはいかない。いま現在でも多く
の被害者が、十分すぎるほど迷惑しているのだ。
学会員の皆さんには、創価学会が垂れ流してきたウソやデタラメに気づいてほしい。そ
して信仰を口実に他人を苦しめることを、即刻やめてもらいたいと願う。