信教の自由を侵害する強引な勧誘や、脱会者・批判者への陰湿な嫌がらせなど、組織ぐ
るみで人権侵害を行う創価学会が、まともな宗教であるはずがないことは、今さら論ずる
までもない。
しかしながら連中は、「大乗仏教の真髄である日蓮大聖人の仏法を信奉する団体」を自
称して、仏教とは名ばかりの反社会思想を広め続けている。創価学会の口先だけはご立派
な、デタラメ教義に騙されてしまう人も、残念ながら一部に存在する。
そこで今回は、創価学会が仏教からいかにかけ離れた存在かを論じたい。
創価学会を代表する出版物、『人間革命』には、読んでいて〝これを書いた奴も信じて
る奴らも頭がおかしいんじゃないのか〟と思わずにいられない箇所が少なくない。そのよ
うな一節を、第五巻から引用する。
> がっちり信仰して、五欲を欲しいままにし、功徳をうけてください。願いとして叶わ
> ざるなし、いかなる願いも、叶うのであります
※ この一節は、昭和27年(1952年)3月1日の中野支部総会における戸田城聖の講演。
引用中にある「五欲」とは、仏教用語で「色・声・香・味・触」の五つの感覚に対応す
る欲望、つまり煩悩のことを言う。「財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲」のことをいう
場合もある。
戸田城聖は〝信仰すればいかなる願いも叶うのだから、欲望をほしいままにせよ〟と説
いているわけだが、これが仏法の指導者のいうことか、と感じるのは、私だけではないだ
ろう。仏教といえば、煩悩を断つことを目指すものというのが、一般的理解である。
創価学会が、その社会通念に反する極端な欲望肯定思想を、正当化するために用いてい
る日蓮遺文があるので、以下に引用する。
> 欲をもはなれずして仏になり候ひける道の候ひけるぞ。普賢経に法華経の肝心を説き
> て候「煩悩を断ぜず五欲を離れず」等云云。天台大師の摩訶止観に云く「煩悩即菩提、
> 生死即涅槃」等云云。
(『四条金吾殿御返事』より引用)
確かにこの遺文には、「煩悩を断ぜず五欲を離れず」という文言が含まれている。また、
『摩訶止観』からの引用として「煩悩即菩提」という言葉もある。
しかし、日蓮が「五欲を欲しいままにし」てよいと言っているとも断定できない。この
遺文の真意を詳らかにするため、文証として用いられている『摩訶止観』の一節を以下に
示す(後で大意を説明するので読み飛ばしても可)。
> 理を推して発心すとは、法性は自・天にして然なり。集も染むること能わず、苦も
> 悩ますこと能わず、道も通ずること能わず、滅も浄ること能わざること、雲が月を篭
> むるも妨害すること能わざるがごとし。煩悩を退けおわってすなわち法性を見るなり。
> 経にいわく、「滅は真諦にあらず、滅によって真に会す」と。滅なお真にあらず、三
> 諦はいずくんぞ是ならん。煩悩のなかに菩提なく、菩提のなかに煩悩なし、これを生
> 滅の四諦を推して上は仏道を求め下は衆生を化するの発菩提心と名づく。
> 無生の四諦を推して発心すとは、法性は苦・集に異ならず、ただ、苦・集に迷って
> 法性を失うこと、水は結んで氷となるも別の氷なきがごとし。苦・集に苦・集なしと
> 達すれば、すなわち法性に会す。苦・集なお是なり、いかにいわんや道・滅をや。経
> にいわく、「煩悩即ちこれ菩提なり、菩提即ちこれ煩悩なり」と。これを無生の四諦
> を推して上求下化する発菩提心と名づく。
(『岩波文庫『摩訶止観(上)』より引用)
※ この一節は仏教の重要教義である四諦に基づいている。四諦とは、苦諦(一切は苦
である)、集諦(苦の原因は煩悩である)、滅諦(煩悩を除けば苦も無くなる)、道
諦(煩悩を除くための修行法(八正道))をいう。
この一節を正確に理解するには、仏教についてそれなりの知識が必要だが、ここでは大
意を述べるにとどめる。
仏教には、一切は真如法性の顕現であるという考え方がある。上記は、悟りを開くには
煩悩を断つことが必要だが、悟りを開いた立場から見れば、煩悩もまた、水が氷になるよ
うに、法性の現れたものとわかると説いているのである。
それを端的に「煩悩即菩提」と述べているのであり、煩悩のおもむくまま、好き放題す
ることが悟りの境地と言っているわけではない。
そもそも『摩訶止観』には「五欲を呵せ」と題した一節があり、そこには「この五欲は、
これを得れども厭くことなく、悪心うたた熾んにして火に薪を益すがごとく、世世に害を
なすこと怨賊より劇し」と、五欲は有害なものとして述べられている。
先の日蓮遺文も、凡夫である以上、欲から離れられないのは当然のことだが、だからと
いって成仏をあきらめる必要はないと言いたいのであり、それを欲望のままに好き放題し
てもいいと解釈するのは無茶苦茶である。
長々と述べたが、仏教の知識などなくても常識さえあれば、欲望を無制限に肯定するよ
うな宗教は邪教に他ならないことはすぐにわかる。
日蓮正宗も、創価学会がこういうバカなことを言いだした時点で、破門にするべきだっ
たのではないか。
このような狂った教えを信奉しているから、自分の欲望を充たすために、他人を平気で
犠牲にできる人間のクズのような輩がわいてくるのである。
重ねて言うが、創価学会は断じて仏教ではない。有害な思想をまき散らすインチキ宗教、
カルト邪教に過ぎない。この「一凶を禁ずる」理性を、ひとりひとりの国民が持つことこ
そ、よりよき社会の実現のために、今必要なことではないだろうか。
補足
今回引用した遺文も、日蓮が弟子である四条金吾に送った手紙とされている。『四条金
吾殿御返事』と呼ばれる遺文は他にもあり、引用したものには『所領書』という異称もあ
る。
実はこの遺文には、日蓮真蹟・古写本ともに現存しない。なので確実に日蓮の思想を伝
えるものとは断定できない。