2020年7月26日日曜日

鳥居をくぐると地獄に堕ちる!? ― 創価学会員が神社を避けるわけ ―

 創価学会員に神社を忌避する習性があることは、よく知られた事実である。これは、日
蓮正宗の「神天上の法門」という教義に由来している。

 現在の創価学会は、公明党が自民党と連立を組んでいるためか、日本の伝統を過度に敵
視することは控えているようだが、かつては非常に過激な主張を行っていた。


>  前に述べた様に聖徳太子以後、民族が清浄を尊ぶことと行いを清らかに保つという
> 儒教の道徳と仏法の三世の思想の三つを結びつけて作った教義で本尊を作って人を迷
> わす邪宗となり下った神道は現在多数派に別れ、神札を発行し、時折祈祷を行って宗
> 教らしく形はととのって居るが、元々何の教義も無いのであるから真に幸福を得られ
> るという道理の立つわけが無く、更に悪いことには神社には正しい神が居ないのみな
> らず、神社が発行する神札には文字が書いてある故に独自の働き、一つの力を持って
> 居るのである。即ち何々の神と書いた文字がこれを祭る人人へ働きかけ、その人の魔
> 性と感応して不幸な現象を起させる事実がこれである。
(中略)
>  前に示した様に神道は正しい仏法の流布をさまたげる故に神社及び神札には悪鬼神
> の働きが躍動して、個人と社会を毒するものであり、撲滅しなければならぬ邪宗教で
> ある。
 (『折伏教典』昭和29年版)

 ※1 旧字体は改めた。
 ※2 『折伏教典』とは、創価学会がかつて教義書および布教のマニュアルとして発行
   していた書籍。昭和26年~40年代にかけて出版され、その間、何度も改訂された。
   古いものの方が、より過激な内容だったようである。


 以前にも述べたが、日蓮は日本古来の神祇もまた、法華経を守護する護法神であると考
えていた(「日蓮と神祇信仰」参照)。

 「神道は撲滅しなければならぬ邪宗教」という主張は、当時の創価学会が勝手に行った
ものであり、本来の日蓮の教えではない。

 日蓮正宗の檀信徒の大部分も、これほどまで過激ではなかったようである(日蓮正宗の
信者の中でも「妙観講」に属する者には元創価学会員が多く、現在もかつての創価学会と
同様の極端な独善性を維持しているので注意されたい)。

 さて、『折伏教典』の排他的な主張を真に受けた学会員たちが、それをどのように実践
したかも見ておくべきだろう。

 創成期からの学会員を家族に持ったことから、彼らの行動を間近で観察する機会を得た
人物の証言を、宗教学者・玉野和志氏が著書に記している。


>  この人は家族が古くからの会員だったので、かつての創価学会のことをよく知って
> いる。むかしの学会員といえば、社会的には後ろ指をさされるような場合が多かった。
> 「会員になると、謗法払いといってみんなでよってたかって仏壇や神棚を撤去してし
> まうので、過激な集団だと見られていたし、会員は病人と貧乏人ばかりで、立派なお
> 屋敷に住んでいる人なんかいませんでしたよ。自分が若いときによく目にした学会員
> はめちゃくちゃで、やれ今日はいくつ神棚を焼いてきたとか、何人折伏できたとか、
> そんなことばかり言って、いわば闘士のようなもので、おとなしく信心しているとい
> う感じではありませんでしたね」
 (玉野和志著『創価学会の研究』)


 およそ普通の日本人とは信じがたい言動である。日本の伝統的な文化・慣習に対して、
何か言い知れない憎悪を抱いていた人々が、初期の創価学会の信者になったのではないか
と思わせられる……。

 昨今の創価学会は、かつてのような過激な主張を前面には出さなくなった。神社に初詣
に行ったり、地域の祭りに参加したりするなど、神社をことさらに避けない学会員もそれ
なりにいるようである。彼らはこれを、「随方毘尼(ずいほうびに)」という教えで正当
化している。


>  日蓮大聖人は「随方毘尼」という教えを示されています。「随方」とは、地域の風
> 習に随うこと、「毘尼」とは、戒律の意味です。
>  随方毘尼は、随方随時毘尼ともいい、仏法の根本の法理に違わない限り、各国・各
> 地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、随うべきであるとした教えです。
 (創価学会教学部編『教学入門』)

 ※ 『教学入門』の初版は、2015年(平成27年)6月6日。


 先にも述べたが、自公連立を維持するためには、創価学会としても保守的な人々の心情
に配慮する必要がある、ということなのだろう。

 とは言っても、現在でも頑なに神社には近づこうとはせず、表題のように「鳥居をくぐ
ると地獄に堕ちる」と言い張る学会員も多い。

 創価学会員がかつてより丸くなったように見えたとしても、やはりそれは表面的なもの
であり、カルト特有の狂信的な独善性・排他性を内に秘めた者も、今なお少なくないのだ。

 本稿をお読みになった皆さまにも、学会員に対しては警戒するにしくはないことを、ゆ
めゆめお忘れなきようお願いしたい。


お詫び 言論出版妨害事件について

 今年の初め、できるだけ早くに言論出版妨害事件について論じたい旨を述べましたが、
現在に至るまで実現できずにいます。

 その理由は、コロナウィルス禍の影響で資料収集に支障をきたしたこと、個人的な事情
で少なからず忙しかったこと――この点は当分の間続きそう――などです。

 このテーマは、創価学会の反社会的体質を考える上で避けて通れないものですので、き
ちんと論じるべきだと、私は今も考えています。

 ですが、前述の事情もあり、現状、それがいつになるか確約できません。
 あしからず、ご了承いただければ幸いです。

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