創価学会が急速に勢力を伸ばした昭和20年代の大部分の期間において、大石寺法主とし
て日蓮正宗を率いていたのは第64世水谷日昇氏であった。
水谷氏が法主であった期間には、創価学会が独自に宗教法人となることを認めるか否か
や、創価学会に批判的な僧侶と学会員との確執、狸祭り事件など、日蓮正宗と創価学会と
の間にはさまざまな問題が起こった。
そして、大石寺法主であった水谷氏は、否応なく創価学会との問題に直面しなければな
らなかった。日蓮正宗にとって創価学会は、新しい信者を増やし、多額の寄進をしてくれ
る頼もしい存在であると同時に、乱暴者が多いトラブルメーカーでもあり、その舵取りに
は苦労が多かったことと思われる。
これまで述べてきたように、創価学会は日蓮正宗に経済的利益をもたらしながらも、僧
侶が思い通りにならなければ暴力で威圧するといった、アメとムチ的な対応を取っていた。
それに対して日蓮正宗側が、創価学会を懐柔する手段は、本尊の下賜であった。
日蓮正宗の教義では、大石寺の大御本尊およびそれを法主が書写した複製のみに、人々
を救済する力があることになっている。
法主が書写した本尊を印刷したものを御形木本尊といい、直筆のものやそれを木彫した
ものを常住本尊という。信者になれば御形木本尊はもらえるのだが、常住本尊は一般的に
は寺院に安置される。
創価学会は、古くからの日蓮正宗信者から見れば新参者だったが、戸田城聖は、第二代
会長に就任して間もなくの昭和26年(1951年)5月12日付で、水谷氏にあてて「学会常住
の御本尊」の下賜を願い出ている。
学会本部に寺院にあるような常住本尊を安置することで法主の権威を借り、創価学会を
胡乱な目で見ていた僧侶や古くからの檀信徒に、学会を認めさせようとしたのであろう。
また、会長就任を機に立派な本尊を本部に安置することで、会員に対して「今までとは
違う」という意識を持たせ、大々的に折伏を進める上で発破をかける意味合いもあったと
考えられる。
ジャーナリスト・溝口敦氏は『池田大作「権力者」の構造』で、「宗教法人法の宗教団
体の定義に、『礼拝の施設を備える』という一句があり、それを字義通りに受けたうえで
の、日蓮正宗から独立した宗教法人設立に向けての用意周到な布石をも兼ねていた」と指
摘している。
常住本尊を本部に置くことは、いろいろな意味でメリットがあったのである。
だからであろうか。創価学会の常住本尊を書写した水谷日昇氏について、『人間革命』
では歯の浮くような持ち上げ方をしている。水谷氏の法主就任を描いた場面を『人間革命』
第二巻から引用する。
> 創価学会の戦後第一回総会が開かれた十一月十七日の二日まえ、総本山大石寺では、
> 突如、六十三世嗣法、秋山日満猊下が、御退位の旨を仰せになった。
> 猊下は、昭和二十年十月二十八日就任いらい満一年を過ごされた。しかし、春いら
> いの病気も癒えず、御一身の都合から、十一月十四日、宗内の臨時参議会を招集され
> たのである。
> 翌十五日、御諮問の結果、正式に御退位を決定し、即日、水谷日昇尊能師が学頭に
> 補任せられ、次の六十四世御法主上人猊下としての御登座が決定をみたのである。
(中略)
> 水谷日昇猊下の御登座は、戦後の宗門史にとって、重大な一大転機となった。この
> 時、猊下は六十八歳である。その端麗な容貌と、清楚闊達なお姿は、新生日本の象徴
> ともいえた。
> 昭和三十一年三月、御引退になるまでの十年間、日蓮正宗の管長としての御事蹟は、
> まことにお名前のように、旭日の昇るが如き勢いであった。創価学会の発展と相俟っ
> て、宗門の興隆はめざましく、七百年来かつて見たことのない、種々の偉業が成しと
> げられた。
当時の日蓮正宗は、創価学会員を含めても数万人程度の檀信徒しかいない、日蓮系の弱
小宗派に過ぎない。その管長を「新生日本の象徴」と言うのは大げさ過ぎであろう。
第十巻には、水谷氏の退座について記されてる。
> 一月十八日、総本山大石寺では、水谷日昇上人猊下が重役会議を招集していた。席
> 上、猊下は諸般の事業の完成、奉安殿落成を機として、この際、老齢のゆえに辞意を
> 表明なされた。
(中略)
> 一宗を率いる猊下の御苦心といい御努力といい、歴代猊下のなかでもっとも苦しま
> れた猊下であったにちがいない。
(中略)
> 御勇退発表のこの際、戸田は「いかなる時代いかなる御方が御法主になられようと
> も、学会の総本山に対する忠誠はいささかも変わりのない」旨の声明書を発表した。
『人間革命』には、水谷氏の法主退任は老齢のためと記されているが、実はこの時も、
若き日の池田大作の暗躍があったのだという。
> 三十一年三月、大石寺では水谷日昇が退座し、堀米日淳が第六十五世法主になった。
> 水谷日昇は池田の義父・白木薫治が大石寺大奥(大坊。法主が住み、宗務をとる)に
> 勤めさせた女性と情を通じ、子までもうけたという。当時、水谷は夫人を亡くし、高
> 齢ではあったものの「ネコにカツブシ」の状態だったと事情を知る元僧侶は語ってい
> る。このことを柏原ヤスが池田に知らせ、池田は「狸祭り事件」で、謝罪文提出、大
> 講頭罷免、登山停止の罰を戸田に課した水谷日昇に報復するため、この醜聞をもとに
> 日昇に退座を迫ったとされる。
> 日昇は引退後、生まれた子を正式に認知したというが、創価学会による宗門支配の
> 試みには、早くから謀略の臭いが漂う手法がとられていたことを知るのである。
(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』より引用)
『人間革命』を実際に執筆したのは篠原善太郎氏であるが、池田大作とも綿密に打ち合
わせの上、池田が決裁して『聖教新聞』に掲載されていた。
「歴代猊下のなかでもっとも苦しまれた猊下であったにちがいない」と書かせた張本人
である池田大作が、水谷氏を苦しめていたのである(この件については、水谷氏の自業自
得の面もあるが)。
現在、創価学会の総本部は、平成25年(2013年)完成した「広宣流布大誓堂」に置かれ
ている。
そしてそこには、清楚端麗な狒々じじいこと水谷日昇氏が書写し、さらにそれを池田大
作の指示で、木板に模刻した本尊が安置されている。
創価学会の中心となる礼拝所には、まことにふさわしい本尊といえよう。
上述したように日蓮正宗の教義では、本尊の複製は大石寺法主のみができることになっ
ている。池田大作が勝手に本尊模刻をしたことは、日蓮正宗から問題視された。
それだけにとどまらず、この問題が明るみに出た際には、学会員の中には創価学会をや
め、日蓮正宗の直属の信者となる者が相次いだという。
池田大作は、『聖教新聞』のカメラマンに本尊の写真を撮らせて、それをもとに業者に
彫らせ、さらに昭和50年元旦には、自ら入仏式まで行ったという(原島嵩著『絶望の淵よ
り甦る』による)。
池田の指示で勝手に複製した本尊は、日蓮正宗に没収されたそうだが、本部の本尊だけ
は、水谷氏が書写した紙の本尊は傷みが激しいからということで、当時の法主・細井日達
氏から特別に許され、細井氏が昭和52年(1977年)11月に入仏開眼を行った。
このいわくつきの本尊が、現在も「創価学会常住の本尊」となっているのである。
信教は自由であり、何を拝もうが当人の勝手ではあるが、創価学会の場合、「唯一の正
しい宗教」を自称しているくせに、信仰の対象がいい加減すぎると思う。
一昨々年の教義改正で、創価学会は「会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が
受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対
象にはいたしません」(『聖教新聞』平成26年〔2014年〕11月8日)と宣言した。
※ 「弘安二年の御本尊」とは大石寺の大御本尊のことである。
破門されるまでは「幸福製造機」だと言って崇め奉っていた、大石寺の大御本尊を、現
在では「大謗法の地にあるから受持の対象としない」といいながら、その複製を「創価学
会が受持の対象として認定した御本尊」として拝むというのは、理解し難い教義である。
大石寺の大御本尊は、「御本仏」である日蓮が末法に生きる一切衆生を救済するために
作った「出世の本懐」という触れ込みだが、そもそも日蓮は自分のことを「御本仏」など
と不遜なことは言っていないし、特別な本尊をこしらえたと書いてある日蓮遺文など存在
しないし、大御本尊とやらもどう考えても贋作だし、大石寺法主だけが日蓮の正統な後継
者として、本尊の複製ができるという日蓮正宗の教義も、本当は誰が書いたかも定かでは
ない偽書にもとづくもので、日蓮が唱えたものではない。
日蓮正宗の教義がインチキだとわかったから、そこから「魂の独立」を図ったのだと創
価学会が主張するのならば、その意気やよしと言いたいところだが、その前に学会員の皆
さんには、やるべきことがあるのではないか。
日蓮正宗創価学会だけが正しい宗教で、それ以外の宗教だと不幸になると主張し、強引
な折伏で社会に迷惑をかけてきたことについて、まず総括し反省すべきだろう。
それなのに、創価学会は破門されて、教義の支離滅裂さにさらに拍車がかかったにもか
かわらず、相変わらず「唯一の正しい宗教」とぬかして、強引な折伏や非学会員への嫌が
らせなどで、世間に迷惑をかけ続けている。
外部の私から言わせてもらえば、エロじじいの水谷日昇氏が書写し、それを超絶エロじ
じいの池田大作が模刻させた本尊になど、まったく有難みはないし、そんなものを広宣流
布大誓堂とやらに安置して拝んでいる創価学会は、ただのインチキ宗教であり、学会員は
頭がおかしいカルト信者でしかない。
言葉が過ぎると思われた方には、本来、私は争いを好まず、信教の自由を重んじる人間
であり、学会員から不快な目に遭わされたりしなければ、上記のようなことは書かないし、
このようなブログを立ち上げることもなかったと申し上げたい。
補足 常住本尊について
日蓮正宗では、常住本尊は一般的には寺院に安置されるものだが、特に信心深いものが
申請した際には、一般信徒でも常住本尊が特別に与えられることもあり、一種のステータ
スになっていた。
また、戸田城聖が「常住本尊の方が功徳がある」と言っていたので、多くの学会員が、
〝信心深いよき信者〟と認められることで、常住本尊をいただきたいと願ったのである。
学会員で常住本尊がもらえるのは、原則として信者歴が長い幹部に限られたが、池田大
作は、入信してから日が浅いお気に入りの若い女性のために、日蓮正宗に口利きして常住
本尊をもらえるよう計らい、古参の学会員から顰蹙をかったこともあるという。
蛇足
私は学会員から折伏を受けた際に、「是非『人間革命』を読んで欲しい。そうすれば創
価学会の素晴らしさがわかる」と言われたことがある。
その時には読まなかったが、当ブログでネタにするために通読してみた。
結果、『人間革命』は、創価学会がインチキ宗教であることを証明するための資料とし
て、非常に有用だとわかった。
今回引用した20行あまりにも、本文では触れなかった突っ込みどころが二つある。
まず、第二巻からの引用について、水谷日昇氏の前の法主が、病気のために法主を退任
せざるを得なかったとある。
頻繁に大御本尊を拝んでいるはずの法主の病気が治らないのだから、大御本尊には病気
を治す力などないのではないか、とこれを読んだ学会員は思わなかったのだろうか。
次に第十巻からの引用に、「いかなる時代いかなる御方が御法主になられようとも、学
会の総本山に対する忠誠はいささかも変わりのない」と、戸田城聖が声明したとあるが、
大石寺の先代法主である阿部日顕氏に対する誹謗中傷は、一体どういうことなのか。
阿部日顕氏の法主就任の際に相承がなかったなどと、創価学会は主張しているが、大石
寺法主の血脈相承など最初から嘘八百であり、そのデタラメな宗教を強引なやり方で布教
してきた共犯者である創価学会が、何を今さらカマトトぶったことを言っているのだろう
としか、私には思えない。
『人間革命』を読んで、創価学会に疑問を感じない人は、カルトの洗脳で頭がおかしく
なっているのだろう。そうでなければよほど頭が悪いのか、それとも両方かも知れない。