集めを実施し、その金を使って贅沢三昧の暮らしをしてきた。
しかも、創価学会のそのような実態は脱会した元幹部ら――矢野絢也氏(元公明党委員
長)、藤原行正氏(元都議会公明党幹事長)、山崎正友氏(元顧問部弁護士)、原島嵩氏
(元教学部長)等々の大幹部たち――によって、雑誌や書籍で暴露されてきた。
当ブログで引用してきたのは、そうした告発の一部に過ぎない。
ロクでもない事実の数々が、これほど多く明らかになっているにもかかわらず、なぜ創
価学会員たちは、池田大作を生き仏のように崇め続けるのだろうか。
その理由の一つは、多くの学会員が「池田先生は素晴しい方」と幼少時から家庭教育で
洗脳されているからである(「〝福子〟として育てられるということ」参照)。
そのような洗脳のツールの中でも、最も大きな役割を担っているのが創価学会の機関紙
『聖教新聞』である。
『聖教新聞』は、創価学会員にとっては毎日必ず目にするものだが、世の中の大部分の
人にとっては、その名を聞いたことはあっても、内容は見たことはないシロモノである。
その紙面は、読売や朝日のような全国紙や主要地方紙とはまったく違う。まさに池田大
作づくしである。一例を以下に挙げる。
(『聖教新聞』平成30年〔2018年〕4月19日付)
『聖教新聞』は、「池田先生に名誉市民称号が贈られた」「池田先生に賞が授与された」
「池田先生の著作が海外で翻訳・出版された」「創価学会のイベントに池田先生がメッセ
ージを送った」等のニュースがあれば、一面トップで伝える。
その他にも「池田先生から指導を受けて感銘を受けた」「池田先生のご指導を心の支え
としてがんばり続けたところ成果が出た」等の体験談も掲載されている。
しかも『聖教新聞』の紙面は、これでも一昔前と比べるとずいぶんと穏やかなものにな
っているのである。かつては池田を称賛する記事だけではなく、脱会者への誹謗中傷や、
創価学会を破門した日蓮正宗への非難が、連日のように掲載されていた。例えばこんな具
合である。
(『聖教新聞』平成19年〔2007年〕10月13日付)
「世界が仰ぐ偉人」とは池田大作のことであり、竹入とは矢野氏の先代の公明党委員長・
竹入義勝氏、山友とは山崎正友氏のことである。
セネカの言葉を引いて「高潔な心」を称揚しておきながら、「反逆者は皆生き地獄」と
か、日蓮正宗への悪口雑言を書く。矛盾ではないか。憎悪でドロドロなのはいったいどっ
ちの方かと、ツッコミたくなる迷文である。
多くの創価学会員が、このような記事を毎日のように目にし続けた結果、「池田先生は
世界的な偉人、それを妬んだ人が根も葉もないウソで中傷している」「創価学会は唯一の
正しい宗教なので、ほかの宗教の信者が悪口を言っている」などと、本気で思い込むよう
になっているのだ。
学会員たちが、過酷な金集めで彼らを苦しめてきた張本人である池田を、恨むことなく
崇拝し続けるもう一つの理由として、池田が極めて自己演出に長けた人物であることが挙
げられる。
池田大作は、幹部に対しては財務等の集金額の多寡を競うように仕向けていた(「学会
幹部に良心はないのか?」参照)。そしてその一方で、末端の会員に対しては優しく謙虚
な指導者であるかのように振舞っていた。
池田の如才なさを示すものとして、昭和51年(1976年)、岡山県での現地指導の際の言
動を引用する。
> 「岡山も二十周年か。早いものだ。あすは盛大にやろう。岡山に何とか福運をつけさ
> せてあげたい。ここは福運がない。岡山文化ももっとでっかいのをつくろう。日本一、
> 小さい文化会館だ。すべてが三十年型だ。関西はすごい。五千人、六千人入る戸田記
> 念講堂だ。
> みんな、お金を全部出すぐらいにして戦う。そうすれば功徳が出るよ。関西、九州
> はすごいな。二十一世紀めざして進んでいる。スケールが違う」(五十一年三月十五
> 日、中国地方代表メンバー及び公明党議員との会食、於中国文化会館)
> こういう話をされると、居並ぶ岡山県の幹部連は、目の色をかえて、無理を承知で
> 特別財務の金集めをあおり立てざるを得なくなるのである。それこそ、
> 「生涯の福運のために、身上なげ出して御供養しよう」
> という宣伝になってしまうのも無理からぬ話であった。
> 池田名誉会長は、最高幹部には、目をすえてこのようなエゲツないあおり方をして
> おきながら、末端会員に対したときには、
> 「皆さん、無理をなさらないように。千円でも二千円でも結構です」
> こうして、幹部は末端会員に無理を強いてうらまれる。うらまれながら金を集めな
> ければ、名誉会長の覚えが悪くなるから、やらざるを得ない。
> そして、集まった金は、幹部の苦労のせいでも末端会員の犠牲のせいでもなく、す
> べて〝池田先生に福運があるから〟ということになり、そして悪い奴は中間の幹部で
> あって名誉会長は、常に会員にやさしく、思いやり深い人ということになるのである。
(『週刊文春』1980年8月7日号 「創価学会最高幹部七人の内部告発」第8回より引用)
池田大作は、このような抜け目ないやり方で、自分が末端信者の恨みを買うことがない
ようにしながら幹部たちを競わせ、多額の金を集めていたのである。
池田に関する逸話にはバカげたものが多く、彼の知性に疑問を抱かれた方も多いであろ
うが、その一方でインチキ宗教の教祖の例にもれず、狡猾で奸智に長けた一面も持ってい
たのである。
だからこそ、『週刊新潮』『週刊文春』等のジャーナリズムから長年にわたって批判を
受け続けたにもかかわらず、創価学会において絶対的な指導者として君臨し続けることが
できたのであろう。
池田大作は平成22年(2010年)に倒れて以来、もう8年も学会員の前に現れていない。
池田が姿を見せなくなったことから、その呪縛から解放される者も増えはじめている。
カルトに騙されて人生を無駄にしてしまったという事実に直面することの苦痛の大きさ
は、学会員であったことのない私には想像するしかないが、創価学会の異常な教義に束縛
されることをやめ、自らの良心や常識に従って生きる方が、よりまともな人生であること
は断言できる。
創価学会員が洗脳から解放され、自分の人生を自らの手に取り戻すことは、それ以外の
一般人、なかんずく創価学会員からの強引な勧誘等に迷惑してきた人々にとっても、そう
した被害を受ける危険が軽減することを意味する。
より良き社会の実現のためにも、学会員の皆さんには、これまで信じてきた「池田先生」
の姿は虚像にすぎないことに気づき、彼の邪悪な実像を直視してほしいものである。