2018年4月29日日曜日

創価学会員はなぜ池田大作を崇拝するのか?

 池田大作という男は、「広宣流布には金がかかる」と称して「財務」などの搾取的な金
集めを実施し、その金を使って贅沢三昧の暮らしをしてきた。

 しかも、創価学会のそのような実態は脱会した元幹部ら――矢野絢也氏(元公明党委員
長)、藤原行正氏(元都議会公明党幹事長)、山崎正友氏(元顧問部弁護士)、原島嵩氏
(元教学部長)等々の大幹部たち――によって、雑誌や書籍で暴露されてきた。

 当ブログで引用してきたのは、そうした告発の一部に過ぎない。
 ロクでもない事実の数々が、これほど多く明らかになっているにもかかわらず、なぜ創
価学会員たちは、池田大作を生き仏のように崇め続けるのだろうか。

 その理由の一つは、多くの学会員が「池田先生は素晴しい方」と幼少時から家庭教育で
洗脳されているからである(「〝福子〟として育てられるということ」参照)。

 そのような洗脳のツールの中でも、最も大きな役割を担っているのが創価学会の機関紙
『聖教新聞』である。

 『聖教新聞』は、創価学会員にとっては毎日必ず目にするものだが、世の中の大部分の
人にとっては、その名を聞いたことはあっても、内容は見たことはないシロモノである。

 その紙面は、読売や朝日のような全国紙や主要地方紙とはまったく違う。まさに池田大
作づくしである。一例を以下に挙げる。

(『聖教新聞』平成30年〔2018年〕4月19日付)

 『聖教新聞』は、「池田先生に名誉市民称号が贈られた」「池田先生に賞が授与された」
「池田先生の著作が海外で翻訳・出版された」「創価学会のイベントに池田先生がメッセ
ージを送った」等のニュースがあれば、一面トップで伝える。

 その他にも「池田先生から指導を受けて感銘を受けた」「池田先生のご指導を心の支え
としてがんばり続けたところ成果が出た」等の体験談も掲載されている。

 しかも『聖教新聞』の紙面は、これでも一昔前と比べるとずいぶんと穏やかなものにな
っているのである。かつては池田を称賛する記事だけではなく、脱会者への誹謗中傷や、
創価学会を破門した日蓮正宗への非難が、連日のように掲載されていた。例えばこんな具
合である。

(『聖教新聞』平成19年〔2007年〕10月13日付)

 「世界が仰ぐ偉人」とは池田大作のことであり、竹入とは矢野氏の先代の公明党委員長・
竹入義勝氏、山友とは山崎正友氏のことである。

 セネカの言葉を引いて「高潔な心」を称揚しておきながら、「反逆者は皆生き地獄」と
か、日蓮正宗への悪口雑言を書く。矛盾ではないか。憎悪でドロドロなのはいったいどっ
ちの方かと、ツッコミたくなる迷文である。

 多くの創価学会員が、このような記事を毎日のように目にし続けた結果、「池田先生は
世界的な偉人、それを妬んだ人が根も葉もないウソで中傷している」「創価学会は唯一の
正しい宗教なので、ほかの宗教の信者が悪口を言っている」などと、本気で思い込むよう
になっているのだ。


 学会員たちが、過酷な金集めで彼らを苦しめてきた張本人である池田を、恨むことなく
崇拝し続けるもう一つの理由として、池田が極めて自己演出に長けた人物であることが挙
げられる。

 池田大作は、幹部に対しては財務等の集金額の多寡を競うように仕向けていた(「学会
幹部に良心はないのか?」参照)。そしてその一方で、末端の会員に対しては優しく謙虚
な指導者であるかのように振舞っていた。

 池田の如才なさを示すものとして、昭和51年(1976年)、岡山県での現地指導の際の言
動を引用する。


> 「岡山も二十周年か。早いものだ。あすは盛大にやろう。岡山に何とか福運をつけさ
> せてあげたい。ここは福運がない。岡山文化ももっとでっかいのをつくろう。日本一、
> 小さい文化会館だ。すべてが三十年型だ。関西はすごい。五千人、六千人入る戸田記
> 念講堂だ。
>  みんな、お金を全部出すぐらいにして戦う。そうすれば功徳が出るよ。関西、九州
> はすごいな。二十一世紀めざして進んでいる。スケールが違う」(五十一年三月十五
> 日、中国地方代表メンバー及び公明党議員との会食、於中国文化会館)
>  こういう話をされると、居並ぶ岡山県の幹部連は、目の色をかえて、無理を承知で
> 特別財務の金集めをあおり立てざるを得なくなるのである。それこそ、
> 「生涯の福運のために、身上なげ出して御供養しよう」
>  という宣伝になってしまうのも無理からぬ話であった。
>  池田名誉会長は、最高幹部には、目をすえてこのようなエゲツないあおり方をして
> おきながら、末端会員に対したときには、
> 「皆さん、無理をなさらないように。千円でも二千円でも結構です」
>  こうして、幹部は末端会員に無理を強いてうらまれる。うらまれながら金を集めな
> ければ、名誉会長の覚えが悪くなるから、やらざるを得ない。
>  そして、集まった金は、幹部の苦労のせいでも末端会員の犠牲のせいでもなく、す
> べて〝池田先生に福運があるから〟ということになり、そして悪い奴は中間の幹部で
> あって名誉会長は、常に会員にやさしく、思いやり深い人ということになるのである。
 (『週刊文春』1980年8月7日号 「創価学会最高幹部七人の内部告発」第8回より引用)


 池田大作は、このような抜け目ないやり方で、自分が末端信者の恨みを買うことがない
ようにしながら幹部たちを競わせ、多額の金を集めていたのである。

 池田に関する逸話にはバカげたものが多く、彼の知性に疑問を抱かれた方も多いであろ
うが、その一方でインチキ宗教の教祖の例にもれず、狡猾で奸智に長けた一面も持ってい
たのである。

 だからこそ、『週刊新潮』『週刊文春』等のジャーナリズムから長年にわたって批判を
受け続けたにもかかわらず、創価学会において絶対的な指導者として君臨し続けることが
できたのであろう。

 池田大作は平成22年(2010年)に倒れて以来、もう8年も学会員の前に現れていない。
池田が姿を見せなくなったことから、その呪縛から解放される者も増えはじめている。

 カルトに騙されて人生を無駄にしてしまったという事実に直面することの苦痛の大きさ
は、学会員であったことのない私には想像するしかないが、創価学会の異常な教義に束縛
されることをやめ、自らの良心や常識に従って生きる方が、よりまともな人生であること
は断言できる。

 創価学会員が洗脳から解放され、自分の人生を自らの手に取り戻すことは、それ以外の
一般人、なかんずく創価学会員からの強引な勧誘等に迷惑してきた人々にとっても、そう
した被害を受ける危険が軽減することを意味する。

 より良き社会の実現のためにも、学会員の皆さんには、これまで信じてきた「池田先生」
の姿は虚像にすぎないことに気づき、彼の邪悪な実像を直視してほしいものである。

2018年4月22日日曜日

池田大作は本当に平和主義者か?

 平和主義者として、世界的に著名であるらしい池田センセイ。創価学会は、池田センセ
イのノーベル平和賞受賞を実現すべく、金に糸目をつけず様々な工作に取り組んできた。

 ほとんどの創価学会員は「池田先生は世界平和のために尽力されている」「創価学会は
平和の団体」と信じている。

 だが池田大作は、そもそも本当に平和主義者なのだろうか。批判者や脱会者への悪質な
嫌がらせを扇動してきた池田が、本気で平和を志向しているとは信じがたい。

 今回は、池田大作が本当に平和主義者と言えるかを、その「本音」と「建て前」を探る
ことにより検証を試みる。

 『池田大作 名言100選』なる本に、彼の平和についての考え方の「建て前」を端的に示
した文章があるので引用したい。

 『池田大作 名言100選』は、偶数ページ(見開き右側)に池田の著作から引用した「名
言」が引用され、奇数ページ(見開き左側)に、それについての解説を記すという体裁に
なっている。

 ただし、「名言」をどの著作から引用したかは記されておらず、かなり不親切である。
 前置きが長くなったが、この本に記された池田の主張する「戦争と平和」は、以下のよ
うなものである。


 【戦争についての「名言」】
> 戦争は絶対悪

> 戦争ほど、残酷なものはない。
> 愚かなる指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。

 【解説】
> いかなる戦争肯定論も断じて放棄すべきである。戦争は絶対悪であり、人間生命の尊
> 厳への挑戦である。

> 戦争等いうものは、人間の狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状態に追い込むこ
> とを忘れてはならない。(以下略)


 【平和についての「名言」】
> 平和を考える

> 平和ほど、尊きものはない。
> 平和ほど、幸福なものはない。
> 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

 【解説】
> 平和とは、単に、戦争や紛争がない状態をいうのではない。人権が尊重され、民主主
> 義の精神が国民に根づき、その社会に生きゆく人々が自由を享受し、安心できる生活
> を営んでいるかどうか、そこに平和の内実がある。

> 平和とは、間断なく起こる問題と対峙して、断じて対話を選択し、それを貫き、行動
> していくなかに、築かれていくものである。(以下略)

 ※ 戦争についての「名言」は『人間革命』第一巻、平和については『新・人間革命』
  第一巻の冒頭からの引用である。


 まるで聖教新聞のテレビCMのような、ご立派で欺瞞に溢れたキレイゴトである。実際
に創価学会がやってきたことと、まったく逆ではないかと憤りを覚えざるを得ない。

 創価学会員は反社会的な教義を盲信して、「狂気を狂気と感じさせない、異常な精神状
態」に追い込まれ、人権侵害そのものの強引な勧誘を行い、信教の自由・言論の自由を否
定し、罪なき人々から「安心できる生活」を奪ってきた。

 そして、学会員たちがそのような行動をとってきたのは、指導者である池田大作が「仏
法は勝負、勝つためには手段を選ぶな」「脱会者は自殺に追い込め」などと扇動したから
にほかならない。

 いかに偽善的なキレイゴトで取り繕ったところで、そうした過去は消せないし、何より
も創価学会員の反社会的な行動パターンは、現在もなお変わっていないのだから、上辺だ
けを飾ったところで焼け石に水であろう。

 池田大作の平和主義が、口先だけのものであることの証拠をこれから示す。
 創価学会には、関連企業の社長を集めた「金剛会」という会合があった(「社長会」と
もいわれる)。

 この会合は非公開であり、しかも創価学会のなかでも上層部、言い換えれば「搾取する
側」の集まりだったことから、池田大作もそこでは表に出せない「本音」を語っていた。

 後にこの「金剛会」の記録が外郭企業の一つから流出し、創価学会から脱会して批判者
に転じた松本勝弥氏によって出版された。それが『池田大作言行録』である。

 『池田大作言行録』には、昭和43年(1968年)2月10日の会合における池田発言として、
以下の記述がある。


>  倉石発言の問題も自民党の選挙対策だ。日本海沿岸の漁民は出漁出来なくて困って
> いるし、本当に軍艦を欲しがっている。まさか総理が言う訳にもいかず、次回には閣
> 僚にならない倉石が発言した。日本海岸の漁民の票を押さえた。そこの機微を考えな
> ければならない。戸田先生がいれば大賛成だ。今は賛成するわけにはいかないが、漁
> 民が外国の軍艦にいじめられているのをだまっている手はない。国民全体の意思がそ
> ういう方向にむく様にもっていかなければならない。倉石発言は良いとする訳にはい
> かないが、自民党の連中は皆そう思っている、又この発言もサンケイの記者一人にし
> たのであって公式の発言ではないから、首にする必要はない。国民の総意で国防意識
> をもたせるようにしなければ駄目だ。


 この池田発言は、当時の時事問題が背景となっている。50年も前の社会事情については、
大半の方はご存知ないと思うので簡単に説明する。

 昭和43年(1968年)1月23日、北朝鮮がアメリカ海軍の情報収集艦プエブロを拿捕した。
その二日前には北朝鮮の特殊部隊が韓国に潜入し、朴正煕大統領暗殺を企てた青瓦台襲撃
未遂事件が起こったばかりであり、米ソ両超大国は艦隊を派遣、日本海は準戦時下ともい
うべき緊迫した状況となった(プエブロ号事件)。

 日本の漁船が軍艦の追尾を受けるなどの事件も起こり、日本海沿岸の漁業者は出漁でき
ない苦境に陥ったのである。水産庁から米ソ両国に対して、日本の漁業者の安全操業への
配慮を求める要請がなされたが、そんなことで両大国が矛を収めるはずがなかった。

 この事態を受けて、同年2月6日、当時の農林大臣・倉石忠雄氏は閣議後の記者会見で、
「水産庁長官が米ソ両国に安全操業をお願いしなければならないようなことでは……。や
っぱり軍艦や大砲がなければダメだ」などと発言した。これが「倉石発言」である。

 この発言を野党は「軍備主張は憲法違反だ」と問題視、倉石氏の罷免を要求し、国会で
の審議を拒否した。新聞各紙も批判的な論調をとった。

 この件について、公明党も倉石大臣罷免を求める声明を発し、聖教新聞も「我々は戦争
に絶対に反対する」と題した社説で批判した。

 【公明党の声明(抜粋)】
>  一、倉石発言は、佐藤内閣の本質と軌を一にするものであり、同時に、国務大臣と
> しての憲法尊重擁護の義務違反として、断固農相のひ免を要求する。
 (『朝日新聞』昭和43年(1968年)2月10日付より引用)


 【聖教新聞 社説(抜粋)】
>  今日、この憲法への毀誉褒貶はどうあれ、それが戦争を憎み、平和を欲する国民の
> 心の支えになってきたことを我々は疑わない。その点で、倉石農相の発言は、国民の
> 声を無視し、裏切るものとして、厳重に抗議し、その責任を徹底的に追求せざるをえ
> ない。
 (『聖教新聞』昭和43年(1968年)2月11日付より引用)


 この当時の公明党は、池田大作の完全な支配下にあった。その公明党が出した声明の内
容にしろ、聖教新聞の社説にしろ、池田の了承を経たものだったはずである。

 創価学会・公明党は「建て前」としては、倉石発言を全否定する姿勢をとったが、池田
大作の「本音」は、先に引用したとおり「今は賛成するわけにはいかないが、漁民が外国
の軍艦にいじめられているのをだまっている手はない。国民全体の意思がそういう方向に
むく様にもっていかなければならない」というものだったのである。

 なお、倉石氏は昭和43年2月23日に農林大臣を辞任し、それを受けて野党も国会での審
議拒否をやめた。倉石氏は辞任後の記者会見でも自説を曲げず、軍備増強の必要性を訴え
続けた。

 倉石氏は左傾したマスコミから批判を受ける羽目になることを承知の上で、苦境にある
漁民を思い、国家のあるべき姿を見すえて、軍備の必要性を訴えたわけだが、池田大作は
自分の本当の意見を隠して、世間の歓心を買うために「平和主義者」の仮面を被ったわけ
である。池田の偽善者ぶりがよく表れている。

 今にして思えば、この時、倉石氏の提言を真摯に受けとめて、日本海沿岸の軍備を増強
していれば、その後の北朝鮮による拉致事件も未然に防ぐことができたのかもしれない。


 池田大作の軍事に対する本当の考え方を示した資料がもう一つある。アメリカの駐日大
使を務めたエドウィン・ライシャワー氏の記録に、池田大作と面会した際のことが書かれ
ている。当該の記録は以下のとおり。


 1965年11月13日
>  このところ続けている日本人との「対話」の一環として、創価学会の池田大作会長
> と二時間ほど話し合った。池田はつとめて愛想よく接してくれ、こちらもいい関係を
> 築いて彼の考えに影響を与えたいと思うので、会談はスムーズに運んだ。だが、彼も
> その組織全体も、国際世界の諸問題や政治については驚くほど理解に欠けている。
 (E・O・ライシャワー/ハル・ライシャワー 共著
   講談社学術文庫『ライシャワー大使日録』より引用)

 1966年2月12日
>  創価学会の池田会長と二時間半の会談。今回は(三ヵ月前にも会っている)、こち
> らが先方の豪華な本部へ足を運んだ。池田は、人払いしてじっくり話をした。この前
> 会ったときとはまったく違い、アメリカのベトナム政策を強く支持し、日本の再軍備
> を力説する。前回の曖昧な態度から一転して、かなり人種差別的、権威主義的な傾向
> が見て取れた。大きな影響力となりうるこのような集団の考え方が、どのようにして
> 形成されるかは興味深い。彼が好ましい方向へ進むよう、影響を与えるべく努力を惜
> しまないつもりだ――たとえば原爆反対など。
 (前掲書より引用)


 『ライシャワー大使日録』において、池田大作について言及されているのは、上記の二
箇所である。池田の「人種差別的、権威主義的な傾向」について興味を惹かれるが、この
本には、残念ながらより詳しい記述はない。

 はっきりしているのは、昭和41年(1966年)にライシャワー大使と再開した際に、池田
が「日本の再軍備を力説」したということである。


 『池田大作言行録』及び『ライシャワー大使日録』という信頼できる資料からは、池田
大作は「本音」の部分では、軍事力を全否定していたわけではなかったことが見て取れる。

 池田大作は、多くの創価学会員が信じているような、絶対平和主義者ではない。池田の
「平和主義」は、ノーベル平和賞という栄冠を獲得するためのポーズに過ぎないのだ。

2018年4月15日日曜日

池田センセイの「ご友人」

 池田大作は自らの声望を高めるために、世界各国の著名人との会談を重ねてきたが、池
田が利用してきた人物の中には、国家元首クラスの大物もいた。

 当然のことながら、そのような海外の要人と面会するのは容易なことでなく、金を積ん
だり、コネを使ったり、おべっかを使ったりと、様々な苦労があったようである。

 池田はルーマニアの独裁者・チャウシェスク大統領との会談を実現させたが、そこに至
るまでにも、駐日ルーマニア大使と面会して良い印象を与えるように努めるなどの下準備
が必要だった。

 池田大作と駐日ルーマニア大使、二コラエ・フィナンツ氏との会見は、昭和50年(1975
年)3月25日になされた。その席で池田は、チャウシェスク大統領を次のような歯の浮く
ような言辞で称賛している。


> 「チャウシェスク大統領は五十七歳の若さで国を治めておられる。若く、偉大なる指
> 導者であり、独自の哲学を持ち、また魅力をもった方であると認識しています。私は
> その大統領に将来見習っていかなくてはならないこともよく知悉しておるつもりです」
> 「大統領のような聡明な指導者をもったお国は幸せであると申し上げたい。私の直感
> では、お国は、今の閣下のあとの代になっても次の後継者はスムーズにいくように思
> います。大統領から見れば、私ごときは父と子、孫のような立場です。自分を知らな
> ければ、行動も失敗してしまいます」
 (『諸君』1990年3月号所収 内藤国夫著 月報「創価学会問題」第98部より引用)

 ※ この池田発言は、創価学会本部に秘匿されていた資料に記録されていたものである。
  当該資料は、元教学部長の原島嵩氏が造反した際に持ち出され、内藤氏の手に渡った
  とのこと。


 池田は「次の後継者はスムーズにいくように思います」と述べているが、実際のその後
の歴史では、ルーマニアでは流血の革命が起こり、チャウシェスクは公開処刑されている。
 池田センセイの直感は、どうもあまり当てにならないようである。

 さて、こうした事前工作が功を奏し、池田大作は念願かなってチャウシェスク大統領と
の会談を実現させた。昭和58年(1983年)6月8日のことである。『聖教新聞』はこれを
一面トップで報じた。


>  更にSGI会長は大統領の少年時代の夢について問うと、大統領は、我々は革命の
> ための活動を行ってきた。あくまでは夢はルーマニアの民族のため、労働の権利、教
> 育の権利のため、理想の社会建設を実現することであった。そのために働き、戦って
> きたと述懐。
>  SGI会長は「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者である
> ことがよく理解できました」と語った。
 (『聖教新聞』昭和58年〔1983年〕6月10日付より引用)


 チャウシェスクは、離婚や堕胎を厳しく制限して強権的に「産めよ増やせよ」政策を推
進し、その結果ルーマニアでは「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれる浮浪児が出現す
る事態に至り、大社会問題となった。

 また、ルーマニア国内に数十箇所も宮殿を建て、飢餓輸出で獲得した外貨を使って贅沢
三昧の生活をしていた。その間、ルーマニア国民は飢えと貧困に苦しんだのである。

 「広宣流布のため」と偽って集めた金で自分専用の豪華別荘をいくつも建設し、豪遊を
続けていた池田大作とチャウシェスクとは、気脈が通じるところがあったのであろう。上
記の聖教記事によると、この会談は「和やかな友好的雰囲気の中で進められていった」と
いう。

 ところが、池田はチャウシェスクの運命が暗転すると、素早く態度を変えた。チャウシ
ェスクが処刑された翌年、ルーマニアの駐日大使と面会した際の池田の発言を、『聖教新
聞』は以下のように報じている。

 ※ この時、池田大作と面会した駐日ルーマニア大使・ブラッド氏は、革命前にも池田
  と会談しており、4年ぶりの再会だった。


>  民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を、私は、もろ手を挙げて、祝福いたしま
> す。「民衆」が勝った。「人間」の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う
> 世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました。
 (中略)
>  貴国の不幸は、指導者が、一族主義による「独裁」に、いつしか陥ってしまったこ
> とにあったといえます。権力の腐敗にどう対処していくか――ここに将来にわたって
> の大きな課題があると思うのですが。
 (『聖教新聞』平成2年〔1990年〕1月7日付より引用)


 独裁者と仲良く会談して誉めそやし、自己宣伝に利用しておいて、その独裁者が革命で
打倒されると、今度は「権力の腐敗」を批判する。まったく大した君子豹変ぶりである。
 また、この会談で池田は、再会したブラッド大使に対して、次のように述べたという。


>  時代や社会はいかに変わろうと、ひとたび結んだ友情が色褪せるようなことはあっ
> てはならない――それが、私の信念です。


 池田センセイのあからさまな手のひら返しを目の当たりにした上、上記のようなご立派
な「信念」の開陳まで聞かされたブラッド大使は、どのような印象を受けたことであろう
か……。

 チャウシェスクとは一回会っただけなので、「友情を結んだ」とまでは言えないのかも
しれない。そこで池田センセイの「ご友人」の中から、もう一人の運命の暗転に直面した
人物であるパナマの最高実力者・ノリエガ将軍についても述べる。

 パナマは大統領制の国であるが、ノリエガ将軍は軍隊を掌握することによって、実質的
に政府を支配していた。平和主義者として世界的に名高いらしい池田センセイは、その軍
事独裁者のノリエガ将軍と家族ぐるみでの親交を結んでいた。

 ノリエガ将軍の娘が病気になった際には、池田センセイがお得意の「数珠さすり」でそ
れを治したという逸話もあるほどである。

 池田センセイとノリエガ将軍とが友好関係を結ぶに至ったいきさつは、次のようなもの
だった。


>  池田大作のパナマ訪問は一九七四年、八一年、八七年の三回に及んでいるが、実は
> 池田はノリエガに大きな「借り」を作ったのは、一九七四年にブラジル・サンパウロ
> 市で開かれた第三回世界平和文化祭に出席するため、米国経由でブラジル入りしよう
> としたときのことである。
>  既に述べたように、日本で言論出版妨害事件を起こす前から、ブラジルでは「創価
> 学会はファッショ団体」とみなされ、池田大作を危険視していたため、このときはビ
> ザ発給を拒否され、立ち往生する羽目になった。そこで、困り果てた池田大作に救い
> の手を差し伸べたのが、当時はまだパナマの一政府高官でしかなかったノリエガ将軍
> だった。それで、池田は「パナマ政府招待」の装いをこらすことで、何とか無事ブラ
> ジルに入国することができたのである。
 (古川利明著『カルトとしての創価学会=池田大作』より引用)


 これを契機として、池田大作とノリエガとは関係を深めた。昭和62年(1987年)に池田
がパナマを訪問し、ノリエガ将軍と会談した際の模様を『聖教新聞』以下のように報じた。


>  同長官は、十三年前、SGI会長のパナマ初訪問の折以来の古い友人であり、これ
> までパナマ、日本、ハワイで友好と友情の語らいを重ねている。この日も旧交を温め
> ながらの和やかな会談となった。
 (『聖教新聞』昭和62年〔1987年〕2月20日付より引用)


 記事は会談後、池田はノリエガの案内で「ミラドール・イケダ(池田展望台)」を訪問
したと伝えている。「池田展望台」は1984年、「SGI会長の平和・文化・教育への幅広
い貢献をたたえ」るために命名され、銘板の除幕が行われたという。

 池田大作はこの訪問において、パナマでは最高位の「バルボア勲章」まで授与された。
 これに大いに気をよくしたのか、池田は静岡県富士宮市にある創価学会白糸研修道場内
の庭園を「ノリエガ庭園」と命名し、石碑を設置した。

(『週刊文春』1988年3月17日号)

 ところがその後、ノリエガ将軍がアメリカの軍事侵攻によって逮捕されると、この石碑
は撤去された。池田は「古い友人」との友情の記念を、なかったことにしたのだ。

 先に引用した内藤国夫氏の月報「創価学会問題」第98部に、池田が友情を語る際の美辞
麗句と、実際の行動とのコントラストが鮮やかに示されているので再度引用する。


> 「私は生涯をかけて、パナマと日本の友好のために貢献していく」
> 「パナマは少年時代から私の憧れの地」
> 「貴国は国は小さいかも知れないが、指導者はあまりにも偉大であり、大きい」
>  等々とパナマ及びその指導者・ノリエガ将軍を誉め称えた池田大作言行録は、いっ
> たい何だったのかと思わずにいられない。
 (中略)
>  パナマへの熱烈な愛情、友情をこれだけ煽り立てられて、今さら「忘れろ」と命ず
> るのは無茶というものだろう。
>  ところが大作サン、チャウシェスク大統領やノリエガ将軍と懇談する写真が、品川
> 文化会館に大きく飾られているのを昨年末に見咎めて、ヒステリックに叱りつけた。
> 「まだこんなものを飾ってあるのか。わからん奴らだ。早く撤去してしまえ」
> 「逆境下の真の友人」という表現があるが、池田氏の付き合いかたは「順境下でこそ
> 友人、逆境下では即、見切りをつけて使い捨て」という冷酷・非情なものだ。


 「池田先生のお言葉」として『聖教新聞』等に載せられるご立派な高説は、口先だけの
ものに過ぎないことがよくわかる。

 池田とノリエガ将軍との関係についての醜聞は、これだけにとどまらない。もっとキナ
臭い話もある。


>  ノリエガ将軍は、ブッシュ氏がCIA長官時代には、その手先となって、キューバ
> のカストロ首相やニカラグアなど中米の革命グループ攪乱に協力した。そして、その
> 代償として、パナマを中継地として、時にはCIAの輸送機も使ってアメリカに南米
> コロンビア産のコカインを輸出(?)する暴挙を大目に見てもらっていた。このため
> にブッシュ氏の弱みを握ったとして、ノリエガ将軍は、ブッシュ氏が大統領となった
> アメリカを、好きなように操れると過信したのだ。
>  しかし、こんなノリエガを放置しておいたら自分の政治生命が危ないと知って、ブ
> ッシュ大統領は八九年就任早々に、米軍による電撃的なパナマ侵攻をやって、ノリエ
> ガ将軍を「戦犯」として捕らえ、アメリカのフロリダにさらって来た。そして、同将
> 軍を「アメリカへのコカイン麻薬供給の罪」もつけて秘密裁判にかけて有罪とし、特
> 別監獄の奥に閉じこめてしまった。
>  このノリエガ将軍が吐かされたものの中に、池田大作氏が創価学会の金をパナマで
> 運用し、ノリエガ将軍の麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことと、このあがりか
> ら、池田氏は小沢氏へ相当な額を常時渡していた、というものがあった。ブッシュ氏
> はこの自白の証拠書類もがっちりと手に入れて、金丸、そして小沢の両氏を操作する
> ムチとして使っていた。
 (霍見芳浩著『アメリカ殺しの超発想』より引用)

 ※ 引用中の「ブッシュ氏」とは、第41代大統領だった父親の方のブッシュである。


 この本の著者である霍見氏は国際経営学者で、ハーバード大学、コロンビア大学等の名
門大学の大学院で教授を務め、執筆した時点ではニューヨーク市立大学教授だった。

 霍見氏がハーバード大学大学院で教えた学生の中には、後に第43代米国大統領となるジ
ョージ・W・ブッシュもいたという。

 これらのことから、霍見氏には失っては困る地位と名誉があり、しかも米国の支配階層
にアクセスできる立場にあったことが分かる。

 そのような人物が根も葉もないウソを本に書くとは考えにくい。引用の内容には、相当
の信憑性があるものと考えてよいだろう。

 池田大作に関する話は、どれもロクでもないものばかりだが、その交友関係にも池田の
下劣な人間性と、創価学会の反社会性とがよく現れている。

 池田にとっては、疑うことなく創価学会に金を貢ぎ続ける信者たちも、彼の「ご友人」
たちと同様、自分のために利用するだけの道具でしかないのだろう。

 こんなカルトに騙され続ける人生よりも、もっとマシな生き方はいくらでもあると思う
のだが、創価学会に洗脳され切って、反社会的行為に疑問を感じない人間のクズにまで堕
ちた輩にとっては、居心地がいいのかもしれない。

 知れば知るほど、調べれば調べるほど、関わりたくないという気持ちがより強くなる。
私にとって創価学会とは、そのようなカルト邪教である。

 世の中のほとんどの人にとっても、そうではないだろうか。当ブログを読んでくださっ
ている皆さまになら、同意いただけるものと思う。

2018年4月8日日曜日

名誉学位・名誉市民等について

 池田大作が世界各国から、様々な名誉称号や賞を授与されてきたことをご存知の方は多
いであろう。特に創価学会員であれば、聖教新聞の一面に頻繁に登場する「池田先生が×
×を受賞」といった記事には見慣れているはずである。

 今年1月4日付の聖教新聞は、イタリア・トゥルテ市および韓国・天安市が、1月2日――
この日は池田の誕生日である――名誉市民称号を池田に贈り、これで彼が得た名誉市民称
号は800になったと伝えている。

 800というのは、あくまでも名誉市民についての数であり、そのほかの勲章や名誉学位、
賞などを合計すると、池田大作への顕彰は軽く千を超えるものと思われる。

 池田の名誉称号あさりの嚆矢は、昭和48年(1973年)10月に日蓮正宗総本山大石寺で開
催された「世界平和祭」において、アメリカ創価学会代表のジョージ・ウィリアムズ氏か
ら「市民証」なるものを贈られたことだったという(古川利明著『カルトとしての創価学
会=池田大作』による)。

 その後、池田は創価学会会長を辞し、名誉会長に退かざるを得なくなったことをきっか
けとして、SGI会長(SGIとは「創価学会インタナショナル」の略)という肩書を用
いるようになったが、世界各国から勲章や名誉称号を本格的に集めるようになったのも、
それとほぼ同時期のことだった(前掲書による)。

 日蓮正宗法主という宗教的権威に敗れて会長の地位を失ったことから、世俗の権威で箔
をつけて失地回復を図ろうとしたのであろう。

 池田が外国から獲得してきたご立派な肩書の数々は、世間的にはあまり評価はされてい
ないものの、創価学会員たちを幻惑し「池田先生は世界的な偉人」と思い込ませるために
は、それなりに効果があったようである。

 その他にも、世界各国の知識人・政治家等と数多くの会談をこなしてきたことも、池田
に箔をつけるために、大いに役立ってきた。

 こうした華麗な池田の経歴に対しては、だいぶ前から疑惑が持たれている。「金で名誉
を買っているのではないか?」というのである。


>  創価王国の絶対君主として、「私が仏法の指導者だ」という傲岸不遜な池田が外国
> 知名士に会うために日本の在外大公使には平身低頭し、対談相手の知名士を拝み倒さ
> んばかりなのだ。キッシンジャー元米国務長官、ライシャワー元米駐日大使、イギリ
> スの歴史学者A・トインビー、フランスの作家、文化相A・マルローと、まことに錚
> 々たる顔ぶれには違いない。キッシンジャーとの対談では、二千万円の謝礼を含め、
> 来日の旅費、滞在費すべてで四千万円以上と噂される。
>  売名のため、虚名を得るためには金に糸目をつけず、世界的〝名声〟に札束積んで
> 便乗する、なりふり構わずスリ寄る様は、単なる有名病では必ずしもない。相手を利
> 用して虚名を手に入れんものと、これはもう、一種の売春精神なのだ。そういえば池
> 田は、モスクワ大学、北京大学をはじめ外国七大学から名誉博士、名誉教授の称号を
> 受けているが、いずれも多額の寄付で得たものといわれている。
 (藤原弘達著『創価学会 池田大作をブッた斬る』より引用)


> 「大作氏は、あの外遊に百五十億円つぎ込んだと言われています。一月二十四日に日
> 本を発ち、アメリカ各地と南米五カ国を五十六日間かけて訪問する外遊でした。各国
> のトップに会うのが目的で、とくに目玉はクリントン大統領。そのために、あらゆる
> ルートに金をばらまき、万全の準備をしたはずなんです。が、アルゼンチン、パラグ
> アイ、チリなどでは大統領に面会し、勲章を貰ったり、表彰されたりしたのですが、
> ホワイト・ハウスは相手にしてくれなかった。で、大作氏は腹立ちまぎれに行く先々
> で、クリントンを笑い者にしたのです」
 (『週刊新潮』1993年7月15日号より引用)

 ※ この記事は、平成5年(1993年)のアメリカおよび南米諸国への外遊における、池
  田大作の言行を取り上げたもの。


 このような外部からの批判に対して、創価学会内では「週刊誌に書いてあることは全部
ウソ」とか、「池田先生があまりにも素晴らしい方なので、嫉妬した人が悪口を言ってい
る」などと、信者を洗脳しているらしい。それについて、以下のような証言もある。


> 北京大学やモスクワ大学など世界の権威ある大学から厳正な審査を経たうえで称号を
> 得ているのだから、やはり先生はすごい。外野がうるさいのは逆に池田先生に対して
> 嫉妬しているからだ、金で称号が買えるなら買ってみろ、と思う学会員は多い。
 (創価学会ルール研究所 著『創価学会あるある』より引用)


 私個人としては、創価学会のようなインチキ宗教や池田大作のようなペテン師よりも、
藤原弘達氏や『週刊新潮』の方がよほど信頼できると思う。

 特に藤原氏は、権力による不当な圧力に屈せず、創価学会による言論出版妨害を暴いた
気骨ある政治評論家であり、池田大作のごとき愚物などとは比較すること自体、無礼千万
であろう。

 とはいえ、批判の根拠が「噂」や匿名の「事情通」による証言だけでは、心もとないと
思われる方もいるかも知れない(創価学会を批判すると、どんな目に遭わされるかわから
ないからこそ、情報の出所をぼかしたり、匿名で告発したりせざるを得ないのである。こ
のことについても、創価学会の悪しき体質が原因なのだ)。

 池田大作に対して名誉学位を与えた側の責任者による、創価学会から金を貰った見返り
としてそうしたという証言は、当然のことながら、そう簡単には出てこなかった。このよ
うな証言が出てきたのは、ようやく平成17年(2005年)のことである。

 韓国のテレビ局がSGI(創価学会インタナショナル)について特番を放送し、その中
で池田に名誉教授の称号を贈った大学の学長が証言したのである。

 その内容について『週刊新潮』が特集で伝え、「この番組の圧巻は何といっても、池田
氏が海外の大学等から贈られる名誉教授の称号や学位が、実は、多額のお金(寄付)の見
返りであることを始めて暴露した点にある」と称賛している。

 この記事には、池田に名誉教授を贈った忠清大学のチョン・ジョンテク学長の証言と、
背景となった事情についての説明が含まれている。


> 「私は(創価大学)から名誉博士号を受けたし、わが校を助けてくれたんだ。図書資
> 金を5000(万ウォン=約500万円)出してくれて、発展基金に2億出して、また文化祭
> で3億ウォン出してくれて、だから……」
>  忠清大学から池田氏に名誉教授の称号が贈られたのは、韓国経済がどん底にあった
> 98年のことだそうだ。この学校にとって5億5000万ウォンという援助がいかに有り難
> かったか、想像に難くない。
 (『週刊新潮』2005年10月6日号より引用)


 この証言から、池田への名誉称号授与は資金提供への見返りというだけでなく、創価大
学からも相手側へ名誉学位を贈る取引でもあったことが分かる。

 こうした面を見ると、「金の力だけではない」と言えるのかもしれないが、それでも問
題のあるやり方であることに変わりはない。

 池田の称号獲得については、このように金絡み以外の問題点も少なからず存在している。
 例えば、冒頭で言及した韓国・天安市からの名誉市民称号の授与式において、市長の具
本榮氏は以下のように述べたという。


>  具市長は「池田先生ご夫妻は、正しい歴史認識に基づき、韓日友好に多大な貢献を
> されました。お二人をわが市の名誉市民としてお迎えでき、大変に光栄です」と力を
> 込めて語った。
 (『聖教新聞』平成30年〔2018年〕1月4日付より引用)


 日本と韓国との間には不幸な歴史があり、日本側に小さからぬ非があったことには私も
同意するが、それでも韓国が主張しているような「正しい歴史認識」には事実とは認め難
い点が多く、そのまま受け入れることはとてもできない。

 日韓の歴史問題は当ブログのテーマではないので、この件について掘り下げることは避
けるが、韓国側の偏った歴史認識に迎合することにより、池田が名誉称号を得たのだとす
れば、それは売国行為以外の何ものでもないことは指摘しておかねばならない。

 また、聖教新聞が掲載した池田への顕彰を報じる記事の中には、相当に事実を誇張した
ものもあるという。

 平成21年(2009年)2月4日付の聖教新聞一面に、キング牧師の誕生日(1月15日)を記
念して、アメリカ連邦下院議会が池田大作を顕彰したと掲載された。発議者はハンク・ジ
ョンソン議員で、同議員が「連邦下院が池田を『平和と正義の使者』と命名した」との証
書を読み上げたと記事は伝えた。

 「平和と正義の使者」より「闘争と不正の使者」の方が、池田には似つかわしいと思う
のは、私一人だけではないと思うのだが。
 さて、この件について、『週刊新潮』がそのまやかしを暴いている。


> 「これにはいろいろカラクリがあるんです」
>  と、学会と対立する宗門系の新聞『慧妙』関係者がこう明かす。
> 「まず、聖教新聞で紹介している証書の翻訳がおかしい。正確に訳すと、顕彰してい
> るのは議会ではなく議員個人。証書の署名も議員ひとりだし、授与式も、議事堂にあ
> る議員の個人オフィスで行われている」
>  実はそのジョンソン議員、
> 「アメリカSGIの熱心な会員。ネット上の百科事典にも明記され、かつてワシント
> ン・ポスト紙でも30年来の会員だと報じられた」(同)
>  というから、要は、学会員が〝うちのセンセイはエライ!〟と宣言したという手前
> 味噌的なものらしい。
 (『週刊新潮』2010年3月11日号より引用)


 池田大作が獲得してきた数々の名誉称号等の顕彰は、確かに金の力だけによるものでは
ないのだろう。

 しかし、創価学会が用いた金以外の手段は、売国的な韓国へのすり寄りや、ただの一議
員(しかもSGI会員)に池田を誉めさせ、されにそれを「米国連邦下院の総意」による
ものであるかの如く誇張するなど、いずれもロクでもないやり方ばかりである。

 インチキ宗教らしいといえばそれまでだが、池田大作の如きペテン師を不正な手段で権
威づけているという事実は、創価学会が邪悪なカルトであることを証明する根拠の一つで
もある。

 学会員は、聖教新聞の与太記事を真に受けて、池田を偉大な人物と信じているようだが、
外部の世間ではそんなインチキは通用しない。

 池田大作の称号が千を超えようとも万に届こうとも、奴はインチキ野郎であり、創価学
会は反社会集団であるという評価を変えることなどできないのだ。